関係の思考

<遠いところからくる>ものを以ってトータルに考えさせてくるものとしては、例えば資本主義の商品交換体系(生産と流通)における「世界史的近代」がある。それに対して<自己の周囲を為す近さ>を以って方法概念的にトータルに考えるのは、一国の「それぞれの近代」である。「世界史的近代」と一国の「それぞれの近代」は言説的な関係性をもつことによって、外部の思考が成り立つ。つまり関係性の思考は、<遠いところからくる>ものを以ってトータルに考えさせてくるもの<と> <自己の周囲を為す近さ>を以って方法概念的にトータルに考えるもののあいだにある。恐らく17世紀における関係性の思想を特徴づけるのは垂直的全体性の存在論から水平的全体性の理念性へ決定的に転換したのである。 ところでしかし一国の「それぞれの近代」を実体化してしまうと、例えば声を住処とするナショナリズムの言説に絡みとられると、「世界史的近代」と一国の「それぞれの近代」のあいだに言説的な関係性が失われて、内部の中心に向かっていくユートピアの教説になる。ナショナリズムは、フランス革命の時代は平等性の理念の方向ももっていた。だがグローバル資本主義の現在は、ナショナリズムは人権の自由の主張をもって、新しい普遍主義の再構成を邪魔するとか、戦争している相手国を揶揄するだけの平等の理念性と関わりのない意義の少ないものになってきた。‬