‪和辻哲郎「イタリア古寺巡礼」

和辻哲郎は若いとき岡倉天心から彫刻仏像)の見方を学んでいなければ、「古寺巡礼」(1919)も、昭和二年から三ヶ月のイタリア旅行をベースにしたこの「イタリア古寺巡礼」も、世に出ることはなかっただろう。和辻が偶像破壊者といわれたというが、自分の無知かもしれない、だけれどこれほど偶像に惹かれた思想家の「偶像破壊」の意味とは一体何かと当惑を覚える。ヴィーナス像の印象を読むと、和辻は統一を嫌う。恐らく政治的「統一」を嫌う。では、個性をもった部分を媒介なく肯定するかといえばそうではないのである。個性をもった部分はそれが美的全体と関わりがある限りにおいて意味を見出される。たとば和辻は彫刻の肉体についてこう言う。肉体を、「中からもり出しているものとしてつかむこと、部分部分の面は中にあるものを包んでいるのではなくして逆にそれを表出するものとして作らねならぬこと、それを心得ているといないとでは、肌の面の生き方がまるで違ってくるのである」(「ローマ滞在」)。そういわれるけれど、ここで和辻がわからなくなってしまうのである。和辻は天心から学んだ画期的視点ー美は「理想」という外部に開かれた余白と関わる限りにおいて意味をもつことーは貫かれているだろうか。この外部的な余白は、宗教なくして美はあり得るかという問い、つまり信の理に従属しない外部的位置のあり方を問うた問いから見出されてくるのであった。さて今回の思想史的遠足において、天心は、アジアで最初に、オリエントの意味を明らかにした思想家ではないかと検討されることになったのであったが、私にとって、問題となってくるのは、この岡倉は、和辻のようには、宗教(共同体が拠り所にするもの)を美の言説の内部に見いだすことはなかったのではないかという点である。言い換えると、「東洋の理想」は、自らの言説が、古寺巡礼という名のオリエンタリズム「日本の理想」に同一化されていく方向を期待していただろうか。本当の意味で、同一化というのは、部分がかくあることが外部からする必然性を自覚すること。そこに全体への同化を拒む権利が留保されるべきではないだろうか、そうでなければ部分が生きることができなくなってしまうのだから。岡倉の「アジアはひとつ」という言葉も、アジアの芸術作品達が日本列島に保存されると意味していたのであり、そこに全体化に関するどんな意味も読みとることはできないだと言っておきたい

武士

武士は文化がない。つまり武士は、古代・中世の貴族と僧侶、江戸近世の町人のようには、独自の自らを代表した文化がなかったといわれる。ほんとうにそうだろうか、一考の価値がある。そうして、弘道館の入り口に立つとき、荻生徂徠の影響下に、幕末に国際的視野を以って論じられることになった制度は文化の代わりとしてあったのだろうかと期待をもつが、吉田松陰で締め括るその出口は、国民会議の形を借りているというガッカリ感である

弘道館

武士は、古代・中世の貴族と僧侶、江戸近世の町人のようには、独自の自らを代表した文化がない。しかし弘道館の入り口に立つとき、荻生徂徠の影響下に、幕末に国際的視野を以って論じられた制度は文化の代わりとしてあったのかもしれないと期待をもつ。だけれど吉田松陰で締め括るその出口は、国民会議の形を借りているだけというガッカリ感である

岡倉天心

岡倉天心の「天を仰げば、自ずから初あり。物を観るに、竟に吾無し」に、物の同一性をつき崩して理想をわがものとする思いを読んだ。六角堂の「吾」を支えるのは変化する海。中国の顔の天心、インドの顔の天心、アメリカの横浜そして横浜のアメリカ。このものたちは無理に、昭和の美的仏像や美的宗教に統合できない

「弁名」ノート‬ No. 16 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 16 ( 私の文学的フットノート)

‪子安氏の訳「およそ先王の道は、迂遠でとらえ難いものであり、普通人に知ることはできないものである。だから孔子も、「民には由らしむべきであり、知らしむべきではない」(『論語』泰伯)といい、また「この詩を作ったものは、道を知る人だ」(『孟子』里仁)といったのも、道が知り難いものであるからである。孔子がまた、「吾が道は一を以てこれを貫く」(『論語』里仁)といながら、何をもって貫くかを言わないのは、それが言葉をもって説きえないし、説くべきはないからである。」

‪• デイスクロージャー(情報公開)がもとめられている現在、17世紀に書き記されたとはいえ、徂徠の「道は言うべからず」の一文を読むと、当惑をおぼえるが、徂徠の言葉を読んでいくことで彼の考え方を追うしかない。さて原点にかえると、「聖人の道」「先王の道」で指示されているのは、ほかならない、内部化を拒む外部的視点である。「徂徠が読み、継承するのは、孔子の政治的な言語である」(子安) 。ここでの私の理解では、『弁名』が指示してくるのは、われわれがかく由ることを外部からする必然性というようなものだ。これに対して、「仁斎がもっぱら読むのは孔子の道徳的言語である」。ここで仁斎を引くのは、徂徠は仁斎から大きな影響を受けているからである。私はこれを、知識の共有が前提とされているような「仁斎論語とわれわれ」として理解される言語であると考えている。ふたたび子安氏の評釈によると、「対他的・対人的関係を基礎に、その充実によって人間世界の完成を考える立場を私は『道徳的』ととらえている。」。他方で、「先王の道が民衆との関係で説かれるとき、その道をめぐる政治性が顕わになる。あるいはそのとき道は政治的な言語をもって語られるということである。ここで『政治的』ということを、社会的総体としての人間の方向付けにかかわる立場として私は理解する。社会的総体としての人間への視点とは伝統的には君主・為政者がもってきたものであり、彼らと同一化しながら儒家もまたその視点をもつのである」。こうして、徂徠は、仁斎と比べると、「聖人とわれわれ」という感じがする。だけれど、ここでは、仁斎と徂徠の違いよりも、あえてその共通点をみなければいけないのかもしれない。その共通点とは、今日の言葉でいうならば、できるだけナショナルなものに依存しなくてもいいように平和共存をのぞむ「アジアとわれわれ」というふうに再構成されるような、どの民衆も真に依拠できる「道」の方向性を示すことではなかっただろうか。‪何というか、言語のなかの過去の姿が問題となっているのであるが、依拠すべき信を理の内部に置いてはならないように、依拠すべき過去を民に伝える言葉の中に位置づけることはできない。そうして過去は絶対の過去になっていくというか、過去を理の囚われた言葉の内部から外へ置くこと、やや過剰な言い方かもしれないが、そこに平和をのぞむ民が安心を見いだすような過去という沈黙する映像、コミニュケーションできるが遥かに遠く語られ得ない目に見えないもの。最後に、少しでも裏づけになるかもしれないが、徂徠が引いた詩について書き加えておこう。孔子の曰く、「この詩を為(つく)るものは、それ道を知るか」(「この詩を作ったものは、道を知る人だ」)。ここで言及されている詩は、「詩に曰く、天蒸民を生ず。物有れば則あり。民の夷(つね)にしたがうや、この懿徳(いとく)を好む」。こう解釈される。「事物の存在する処、そこには必ず一定の法則がある。この法則に従ってこそ世界も平和であるが、民衆は本来それに従うことを好むものだ」(金谷治孟子』中国古典集)‬

‪「教育勅語」の稲田防衛大臣が語らないこと

‪「教育勅語」の稲田防衛大臣が語らないこと

‪隠しているんだろうと思いますよ、他に色々と。(近代化を担った下級武士のエートスをとらえた儒教的背景をもった)後期水戸学の言説とか、(維新の後に展開された)国民道徳論とか、(あの妄語は国民道徳論の出来そこないの一部ですね)、まだ他に、靖国史観が物語る三種の神器とかトンデモ話を過剰にかかえている雰囲気ですね。しかしやはり稲田のあの頭のなかの「教育勅語」はヨーロッパの近代と結びついているでしょう。そして、なんといっても、バブル期に培われた差別感からの圧倒的影響はないでしょうか、少数民族の存在を否定し、あたかも「一つの日本」「一つの日本語」があたりまえとする中曽根内閣の時代のことです。そうしたことを踏まえたうえで、とくに国民道徳論について改めて考える必要があると思うのですね。少し前置きなのですけれど、丸山が指摘したという、(商人階級に支えられた)徳川儒教の弱点という話に即していえば、仏教がもつ本質的平等観がないのですね、農民出身の商人であった石田梅岩はありましたが、だけれど、仏教も石田の心学も、いかに平等を実現する方法を考えることがなかった、そこに限界があったと指摘する見方があります。明治を待たないと、平等を実現する制度論が出てきません。しかし福沢諭吉のように、バッサリと伝統を形作っていた近世思想を切り捨ててしまうとき、何が起きて来きたかをみますと、自由民権運動の盛り上がりが引いたあと、対抗的に、「伝統」を取り返せみたいな似非国民道徳をいう言説家たちがあらわれるのですね。西欧の市民道徳は国を亡すという感じだったでしょうか。しかし西欧列強から植民地化されることを避けるために行われた天皇のもとに国家権力の集中を正当化するこの国民道徳論も、日清・日露戦争のあとに耳触りになっていったと想像するのですがね、しかしながら大正デモクラシーのとき日清日露戦争の意味が反省されることなく、したがって天皇の権力集中を続ける必要がないという「他の道」が検討されることもないままに、歴史修正主義者の安倍が自分のアイデンティティを置いているとみられる満州事変へズルズル行くという...‬

誰が教育勅語を作ったのかを戦争責任の問題として問うことに意味はある。だが教育勅語の核についての解釈に絡み取られても、くだらない国体概念ー日本の自己同一性ーしか出て来ない