「徂徠鬼神論と鬼神祭祀論」(子安宣邦、徂徠学講義「弁名」を読む 第十講)

‪鬼神とは何か‬

‪鬼神とは天神と人鬼なり。天神・地示‬ ・人鬼は周礼の見ゆ。古言なり。地示を言わざるものは、天神に合してこれを言う。凡そ経伝に言うところはみな然り。後世、鬼を陰に属し、神を陽に属する所以は、易にこれ有るを以てなり。古人、疑いあれば、これを天と祖考とに問い、し亀はみな鬼神の命を伝う。これに易の鬼神を言う所以なり。後儒はすなわち命をし、神亀に享くと謂う。し亀は霊なりといえども、また白しょう大王のみ。聖人にしてあにかくのごとくそれ()らんや。この義明らかならず、遂に易の鬼神を以て陰陽の例、造化の迹となし、人鬼を外して言をなす。謬りの甚だしきものなり‬

‪「天命帝鬼神」第十一則‬ ‪凡そ鬼神言うものは、易よりは善きはなし。その言に曰く、「仰いで以て天文を観、俯して地理を察す。この故に幽明の故(こと)を知る。始めを原(たず)ね終わりに反(かえ)る、故に死生の説を知る。精気は物を為し、游魂は変を為す。この故に鬼神の情状を知る」と。この三者はみな易を賛するの言なり。人はみなその鬼神を言うことを知りて、易を賛することを知らず、すなわち易をすててこれが解をなす。故にその義を失するのみ。けだし易とは伏義仰いで観、俯して察して以てこれを作る。前に由る所無く、直にこれを天地に取る。礼と曰わずして故と曰うは、なお故実の故のごとし。上相伝うるものを謂うなり。堯舜まだ礼を制せざるの前に、けだしすでにその故有り、堯舜またこれに因りて制作するのみ。学者いやしくも易に明らかならば、すなわち制作する所以の意は、これを天地に取りしことを知らん。‬

‪「精気物を為し、游魂は変を為す」というのは、‬‪すなわちいわゆる「幽明の故(こと)」「死生の説」なり。鬼神の情状は、祭ればすなわち聚まり、聚まればすなわち見るべく、祭らざらばすなわち散ずるなり。散ずればすなわち見るべからず。見るべからざればすなわち亡きにに 畿し。「精気物を為す」とは、聚れば物有るごときを謂うなり。「游魂変を為す」とは、魂気游行し厲(れい)を為すを謂うなり。これが檀せんを立て、これが宗廟を立て、祭祀以てこれを奉ずれば、()然として在(いま)すが如し。これを「ものを為す」と謂う。然れどもこれを祭るや、「これを迎える」と曰い、「これを送る」と曰い、「彼においてするか、此においてするか」と曰えば、これあに必ずしもそのここに在るならんや。また聖人その物を立つのみ。これ鬼神を言うといえども、然れども易にまたこれ有り。大伝また曰く、「乾は陽物なり。坤は陰物なり」と。六十二卦、孰れか陰陽に非ざる。聖人特にこれが物を立てて乾坤と曰う。天地位して造化行われ、乾坤立ちて易道行われる。乾坤毀るるときは、すなわち以て易を見ることなし。鬼神の道もまた然り。故に伝に曰く、「明らかに鬼神を命けて、以て黔首(けんしゅ)の則となす」と。聖人のその物を立つるや、これ教えの術なり。故に易を知れば、すなわち鬼神の情状を知るなり。聖人は能く鬼神の情状を知る。故に幽明生死の礼に立つ。‬

‪「天命帝鬼神」第十五則

徂徠は仁斎をこう批判する

‪仁斎先生曰く、「三代の聖王の天下を治むるや、民の好むところを好み、民の信じるところを信じ、天下の心を以て心となし、しこうして未だ嘗て聡明を以て天下に先だたず。故に民鬼神を崇むときは、すなわちこれうぃ崇み、民卜ぜいを信じときは、すなわちこれを信ず。(ただその道を直くして行うを取るのみ。) 故にその卒(おわり)や、また弊なきこと能わず。孔子に至る及びては、すなわち専ら教法を以て主となして、その道を明らかにし、その義を暁らめ、民をして従うところに惑わざらしむ。孟子のいわゆる「堯舜に賢れること遠しとは、正にこれを謂うのみ」と。‬ ‪これその臆度の見にして、道にもとるのは甚だしきものなり。何となればすなわち、鬼神とは先王これを立つ。先王の道はこれを天に本づけ、天道を奉じて以てこれを行い、、その祖考を祀りてこれを天に合す。道の由りて出ずるところなり。故に曰く、「鬼と神とを合するは、教えの至りなり」と。故に詩書礼楽は、これを鬼神本づけざるもの有ることなし。仁斎の意、けだし謂えらく三代の聖王はその心またおにっを尚ばず、ただ民の好むところなるを以てして、しばらくこてに従うと、妄なるかな。この道を知らざるものの言なり。‬ ‪

‪且つそのいわゆる「孔子、教法を以て主となす」とは、口諄諄としてこれを言うを以て教えとなすのみ。ろうなるかな。これ講師のことなり。あに孔子にしてかくのごとくならんや。且つその言に曰く、「その道を明らかにし、その義を暁らめ、民をして従うところに惑わざらしむ」と。その言は是なるも、その意はすなわち非なり。もし先王の道を明らかにし、先王の義を暁らめて、一意先王の教えに従いて他岐の惑い無からしめば、すなわち可なり。然れども先王の教えは礼なるのみ。今、先王の礼に遵わずして、言語を以てその理を明らかにせんと欲すれば、すなわち君子すら尚能わず。況や民にして戸ごとにこれを説き、その理をさとして鬼神に惑わざらしむるは、、これ百孔子といえども、また能わざるところなり。すなわちその理学の錮するところとなりて、自らその言の非を覚らざるもの、あにし悲しからずや。漢以来、仏老の道の天下に満ちて、これを能く廃するももなきは、先王の鬼神の教えの壊れしが故なり。これあに理学者流の能く知るところならんや。‬

‪仁斎先生曰く、「凡そ天地・宗廟・五祀の神、および一冊神霊ありて能く(人の)災い福をなすもの、みなこれを鬼神と謂うなり」と。これを得たり。ただ宗儒の謬りに沿うりて、鬼神の名を正すこと能わざるは非なり。また曰く、「今の学者、風雨・霜露・日月・昼夜を以て鬼神とするは誤れり」と。またこれを得たり。然れどもこれみな神のなす所なり。故に伝に曰く、「髪気は風()なり」と。説かに曰く、「神とは、万物に妙にして言を為すものなり」と。下文について雷‬ ‪・風・火・沢・水・ごんを言う。以て見るべきのみ。‬ ‪鬼神の説、紛然として己まざる所以のものは、有神と無神の弁なるのみ。それ鬼神とは、聖人の立つ所なり。あに疑いを容れんや。故に鬼無しと謂うものは、聖人を信ぜざるものなり。その信ぜざる所以の故は、すなわち見るべからざらるを以てなり。見るべからざるを以てして、これを疑わば、あにただ鬼のみならんや。天と命とみな然り。故に学者は聖人を信じるを以て本となす。いやしくも聖人を信ぜずして、その私智を用いうれば、すなわち至らざる所無きのみ。‬

「超越的神格「天」の成立」(子安宣邦、徂徠学講義「弁名」を読む 第九講)

‪天を敬うことは聖門の第一義‬

‪・天は解を待たずして人のみな知る所なり。これを望めば蒼々然たり、冥冥乎として得てこれを測るべからず。日月星辰ここに繋り、風雨寒暑ここに行わる。万物の命を受くる所にして、百神の宗なるものなり。至尊にして比なく、能く踰えてこれを上ぐものなし。故に古えより聖帝・明王、みな天に法りて天下を治め、天道を奉じて以てその政教を行う。ここを以て聖人の道、六経の載するところは、みな天を敬するに帰せざるものなし。これ聖門の第一義なり。学者まずこの義を識りて、しかる後聖人の道、得て言うべきのみ。‬ ‪天は有心‬

‪・後世の学者は、私智を逞しくし、自ら用いるを喜び、その心傲然として自ら高しとし、先王・孔子の教えに遵わず、その憶に任せて以てこれを言い、遂には天は即ち理なりの説あり。その学は理を以て第一義となす。その意に謂えらく、聖人の道は唯理のみ以てこれを尽くすに足れりと。これその見る所を以てして、天は即ち理なりと曰えば、すなわちよろしく以てその天を尊ぶの至りとなすべきがごとし。然れども理はこれを憶に取れば、すなわちまた天はこれを知ると曰う。あに不敬の甚だしきに荒ざらんや。故にその説を究むれば、必ず天道は知ることなしに至りて極まる。‬ ‪程子曰く、「天地は心なくして、化有り」と。あに然らざらんや。易に曰く、「復はそれ天地の心を見るか」と。天の心有ること、あに彰彰として著明ならずや。故に書に曰く、「惟れ天は親しむなし、克く敬するを惟れ親しむ」と。また曰く、「天道は善に福いし、淫に禍いす」と。易に曰く、「天道はみてるをかきて謙に益す」と。孔子に曰く、「罪を天に獲れば、祷るところ無し」と。あに天の心を以て言うに非ざらんや。‬ ‪天は有心‬

‪天は測るべからず‬ ‪・仁斎先生の宗儒を駁すること至れり。然れどもその学は猶之しく後世の学なり。その言に曰く、「有心を以てこれを視れば、すなわち災異に流る。漢儒のごときこれなり。無心を以てこれを視れば、すなわち虚無に陥る。宗儒のごときこれなり」と。善く調停をなすものと謂うべきのみ。果たしてその説の是ならんか、すなわち天なるものは有心無心の間なるものなり。妄と謂うべきのみ。それ天の人と倫(たぐい)を同じくせざるをや、なお人の禽獣と倫を同じくせざるがごとし。故に人を以て禽獣の心を視るも、あに得べけんや。然れども禽獣の心無しと謂わば不可なり。嗚呼、天あに人の心ごとくならんや。けだし天なるものは得て測るべからざるもこなり。故に曰く、「天命は常なし」、「惟れ命においてせず」と。古えの聖人、欽崇敬畏にこれ遑あらざりしこと、かくのごとくそれ至れるものは、その得て測るべからざるうぃ以ての故なり。‬

天に合して祀り帝という‬

‪ ‪・帝もまた天なり。漢儒、天神の尊きもものと謂うは、これ古来相伝説なり。宗儒曰く、「天は理を以てこれを言い、帝は主宰を以てこれを言う」と。その意、理を以て主宰と為さば、すなわち帝と天と何ぞ別たん。またその解を難しとするのみ。けだし上古の伏義・神農・黄帝‬ ‪・顓頊・帝こく、その制作するところのでん魚・農桑・衣服・宮室・車馬・舟しゅう・書契の道は、万古に恒りて墜ちず。民、日にこれを用い、視て以て人道の常と為して、またその由りて始まるところを知らず。日月の照らすところ、霜露の墜つるところ、蛮()夷狄の邦も視こう流伝して、その徳を被らざることなし。万世の後といえども、人類の未だ滅せざれば、これを能く廃するものなし。これその天地と功徳を同じうし、広大悠久なること、たれか得てこれに比せん。故に後世の聖人は、これを祀りてこれを天に合し、名づけて帝と曰う。月令載するところの五帝の名のごときはこれなり。‬

‪それ人死すれば体()は地に帰し、魂気は天に帰す。それ神なるものは測るべからざるものなり。何を以て能く彼是を別たんや。いわんや五帝の徳は天に侔しく、祀りて以てこれを合して、天と別無し。故に詩書に天と称して帝と称して、識別するところあるなきものは、これがための故なり。堯舜以下の作者七人のごときは、すでにこれを学に祀りて万世替れず。しかも五帝の徳かくのごとく大なるに、あにびんびん乎として祀らざらんや。先王の道は断乎として然らず。いわゆるその始祖を祀り、これを自りて出ずるところの帝に配すとは、すなわち五帝なり、すなわち上帝なること、知るべきのみ。‬

‪ ‪漢儒、上帝を以て天神の尊きものとみなし、また五帝につきて五行の神と人帝とを別つに至りては、すなわち臆説なるのみ。大抵古えの礼は、后土(こうど)を祀るに兎を以て配し、祖先を祀るに既に主を立て、また尸を立つ。天を祀るもまた然り。これ先王の道、天人を合してこれを一にす。故に曰く、「鬼と神とを合するは、教えの至りなり」と。礼を制するの意、かくのごときかな。且つ帝の名いずくにかはじまる。もしこれ天子の名にして、推して以てこれを天子に命(なず)くとならば、すなわち先王の天を尊ぶの至り。必ず敢えてせず。もしこれ天子の名にして、もしこれ天の名にして、推して以てこれを天子に命くとならば、すなわち先王の恭なる、必ず敢えてせず。これを以てこれを観れば、帝はこれ五帝にして、これを天に合するなり。聖人を尊ぶの至り、あに然らざらんや。‬

‪子安氏の評釈;‬ ‪水戸学における「天祖」の概念、宣長国学における「皇祖神」の概念の成立をもたらす徂徠の言葉がここにある。近代天皇制祭祀国家の至上神・天祖天照大御神という「天祖」概念の由来を徂徠学に辿ることは重要である。それは古代中国の帝王的世界の「天帝」概念の転移として近代日本の天皇的世界の「天祖」概念があることを教えるからである。1945ねqにいたる天皇詔勅尚書的漢文からなるものであることも併せて考えるべきことである。水戸学で再構成される「天祖」概念については、私の『国家と祭祀』(青土社)の第四章「「天祖」概念の再構築」を見ていただきたい。‬ ‪

「徂徠の政治的思惟と孝悌忠信」(子安宣邦、徂徠学講義「弁名」を読む 第八講)

‪ ・‪孝悌をいかに意義づけるか‬

‪孝悌は解を待たずして、人のみな知る所なり。ただ古え至徳を称するもの三あり。泰伯の讓、文王の恭及び孝wl至徳要道と称する、これなり。人は貴賎となく父母有らざるなく、父母は膝下に生ず。它の百行の如きは、あるいは強壮にしてすなわち能くこれを行うも、唯孝のみは幼より行うべし。它の百行は、あるいは学ぶに非ずんば能くこれを行うも、唯孝のみは幼より行うべし。它の百行は、あるいは学ぶに非ずんば能くこれを行うことなきも、唯孝のみは心に誠にこれを求むれば、学ばずといえども能くすべし。親とは身の本、みは親の枝なり。故に人君はかならずその志を継ぎ、その事を述ぶるを以て孝の至りとなす。臣下はかならず身を立て、名を挙げ、その父母を顕すを以て孝の至りとなす。唯孝のみ以て神明に通ずべし。唯孝のみ以て天地に感ぜしむべし。これその至徳たる所以なり。天下を和順するには、かならず孝悌自り始む。故に先王、宗廟・養老の礼を立てて、以て躬ら天下教う。これその要道所以なり。‬

‪孝悌忠信は孔門けだしこれを中庸と謂う。その甚だしく高からずして、人みな行うべき事のたるを以てなり。故に先王の道を学ぶには、かならず孝悌由り始む。これを高きに登るにかならず卑きよりし、遠くに行くにかならずちかきよりするにたとう。孟子曰く、「尭舜の道は、孝悌のみ」とは、これの謂いなり。その以て仁賢の徳に馴致すべきを謂うなり。然りといえども、後儒論説を喜ぶのの甚だしき、ついに仁孝を以て一つにす。非なり。孝は自ずから孝、仁は自ずから仁なり。君子は一を挙げて以て百を廃するを憎む。仮に一孝にして足らしめば、すなわち江革・王()はすでに聖人たりしならん。故に孔子曰く、「行いて余力あらば、すなわち以て文をまなべ」と。言うこころは、孝悌ありといえども、学ばずんば未だ郷人たるを免れずとなり。これまた学者のまさに知るべき所なり。‬

・‪忠とは政事の科目‬

‪・忠とは政治の科目‬

‪忠とは人の為に謀り、或いは人の事に代わりて能くその中心を尽くし視ること己の事のごとく、懇到詳悉にして至らざるなきなり。或いは君に事うるを以てこれを言い、或いは訴えを聴くを以てこれを言う。訴えを聴くもまた君に事え官に居るのを事なり。然れども五刑の属は三千、到りて繁細たり。しかも民の詐りを懐うや、獄訴の情得難く、彼此怨みを構う。いやしくもよくその情を体するに非ざれば、すなわちその平を得ず。故に周礼の六徳は、忠を司寇の材為せり。左伝に「子犬の獄は察する能わずといえども、かならず情を以てす。忠の属なり」と。以て見るべきのみ。「子、四つを以て教う。文行忠信」と。忠は政治の科たり。政事とは、君子の事に代わる。故に忠を以てこれに命く。‬

‪信とは言にかならず徴あるを謂うなり。世多くは言に欺詐なきを以てこれを解す。‬「信にして義に近ければ、その言復むべきなり」のごときは、これその言、徴ありといえども、必ず先王の義に合せんことを欲す。もし言、義に合せざれば、すんその言を踏まんと欲すといえども、また得べからざるものあり。その究みはついに徴なきに至るなる。朱子は「約信を誓と曰う」を引きて、信を訓じて約となす。これその解を知らざるのみ。‬

‪・民無くんば立たず‬

‪また「民無くんば立たず」のごときは民その上を信ずるを謂うなり。その号令を慎みて、敢えて民を欺かざれば、すなわち民これを信ず。然れども これを信じて畏るるは、これを信じて懐くにしかず。故に必ず能く民の父母になりて、しかる後に民これを信ずること至れり。它の「人に信なくんば、その可なるを知らず」、及び「言は忠信行いは篤敬ならば、蛮ぱくといえどもおこなわれん」のごときは、みな主として信ぜらるるが為にしてこれを言う。大抵、先王の道は民を安ずるがためにこれを立つ。故に君子の道は、みな人に施すを主とす。いやしくも人に信じられず、民ぬ信じられざれば、すなわち道はたた安くにかこれを用いん。然れども信ぜられざるの本は我に在り。君子の信を尊ぶものは、これが為の故なり。‬

「礼=物による教化の道」(子安宣邦、徂徠学講義「弁名」を読む 第七講)

‪礼は道の概念‬

• ‪礼とは道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、これその一に居る。いわゆる経礼三百、威儀三千、これその物なり。六芸の書・数は庶人の官に在る者、府・吏・しょ・徒の専務たり。御もまた士の職とする所なり。射は諸侯に通ずといえども、そのいわゆる射は、礼楽を以てこれを行う。民の射の皮を主とするもののごときの比に非ず。‬

‪ただ礼楽は、すなわち芸の大なるもの、君子の務むるところなり。しかれども楽は伶官に掌られ、君子は以て徳を養うのみ。礼に至りてはすなわち君子はこれを以てせん業となす。ここを以て孔子少きとき礼を知るを以て称せられる。周に之きて礼を老たんに問う。たんに之き、杞に之き、宗に之き、ただ礼をのみこれ求む。子夏の記すところ、曾子の問うところ、七十子みな礼にぎんぎんたりしこと、壇弓諸篇に見ゆ。三代の君子の礼に務めしこと、以て見るべきのみ。‬

‪身体的教化の道‬

‪• けだし先王は言語を以て人を教うるに足らざることを知るや、故に礼楽を作りて以てこれを教う。政刑の以て民を安んずるに足らざることを知るや、故に礼楽を作りて以てこれを化す。礼の体たるや、天地にまたがり、細微を極め、物ごとにこれが則をなし、曲ごとにこれが制をなして、道在らざるなし。君子はこれを学び、小人はこれに由る。学びの方は、習いて以てこれに熟し、黙してこれを識る。黙してこれを識るに至りては、すなわち知らざるところなし。あに言語の能く及ぶところならんや。これに由ればすなわち化す。化するに至りては、すなわち識らず知らず、帝の則に順う。あに不善有らんや。これあに政刑の能く及ぶところならんや。‬

‪化すること‬

‪言葉による教えの害‬

‪• それ人は言えばすなわち喩(さと)る。言わざればすなわち喩らず。礼楽は言わざるに、何を以て言語の人を教うるに勝れるや。化するが故なり。習いて以てこれに熟するときは、未だ喩らずといえども、その心志身体、すでに潜かにこれと化す。終に喩らざらんや。且つ言いて喩すは、人以てその義これに止まるとなし、またその余を思わざるなり。これその害は、人をして思わざらしむるに在るのみ。‬

‪礼とは物なり‬

‪• 礼楽は言わず、思わざれば喩らず。そのあるいは思うといえど思うといえども喩らざるは、またこれを如何ともすることなければ、すなわちひろく它(た)の礼を学ぶ。学ぶことの博きや、彼是の切っぴする所、自然に以て喩ることあり。学ぶことの既に博き、故にその喩る所は、遺す所有ることなきのみ。且つ喩る所は、詳(つまびら)かに、これを説くといえども、また唯一端のみ。礼は物なり。衆義に苞塞(ほうそく)する所なり。巧言ありといえども、また以てその義を尽くすこと能わざるものなり。これその益を黙してこれを喩るに在り。先王の教え、これその至善たる所以なり。‬

子安宣邦氏訳 「いったい人は言葉でいえば理解し、いわなければ理解しようとはしない。礼楽は言葉でいわないのに、どうして言語で人に教えるのに勝てるのか。それは人うぃ化するからである。繰り返し習って、これに熟するときは、まだ頭で理解していなくとも、すでに気持ちや体がそれにつき順っている。だからついには理解するのである。しかも言葉で理解させようとすることは、説かれた言葉の範囲に意味は止まるとして、その言葉以上を人に考えさせようとしない。したがって言葉による害は、人にその言葉以上に考えさせないことにある。礼楽は言葉の体系でないから語らない。したがって自分で考えなければ理解しない。考えても理解できなければ、自分で考えるだけではどうにもならないので、博く他の礼をも学ぼうとする。博く学ぶときは、あれとこれと比べ合わせ、相互に研ぎ合って自然に理解するに至る。学ぶことがすでに博ければ、理解する上で余す所がない。しかも言葉をもって教えるというのは、たとえ詳しく説いたとしても、常に一端をしか説きえないのである。礼とは物である。多くの義(意味)で一杯になっている。巧みな言葉で説きえたとしても、とてもその義を言い尽くすことなどできることではない。言葉で説ことのかない益は、黙して理解することにある。先王の礼楽の教えが最良であるゆえんはそこにある。」

‪礼と義‬

・これ礼楽の教えは、黙してこれを識るに在りといえども、然れども人の知は至るあり、至らざるあり。故に孔子は時ありてか、一隅を挙げて以てその義を語る。義とは、先王の礼を制する所以の義にして、戴記載せるところは皆これのみ。ただ人の知は至るあり、至らざるあり。故に七十子の先王の信ずるは、孔子の先王を信ずるに及ばざるなり、その人の七十子を信ずるは、また七十子の孔子を信ずるに及ばざるなり。故にその人を喩さんと欲するのを急なる、その義を論説するの己まざる、日に以て蔓延し、以て戦国の時に至りて、義ついに礼より離れて孤行し、また礼に就きてその義を言わず。孟子の書を観れば見るべきのみ。これよりその後、古えを去ることますます遠く、義理の説ますます盛んにして、轟然として以て天下を乱り、先王・孔子の教え、蕩ことして尽く。悲しいかな。‬

MEMO ‪フランス現代思想などは存在しないのは、日本思想が存在しないのと同じある。そしてイギリス思想なんてあるのという疑問がある。だけれど経済学については、イギリス経済学といわないとね、ただ「経済学」と言っただけでは不十分な感じがする。マルクスを読むときにイギリス経済学史を読んでいたのでそうおもっているのかもしれない。さてイギリス経済学のなかに、芸術の定義化・公理化と同じように、道徳を公理化して「古典派」が古典派第二公準という形で教えてこようとする科学がある。これを批判したのがケインズの仕事だったとおもう。第一公準の論理的関連性を保つが、似非数学と非難される、彼の諸差異の変数で再構成してみせた"修正された貨幣数量説"をみると、何が問題とされているのかがみえてくる。つまり、自己差異化していく近代を、公理化された言葉を以てとらえ尽くすことの無理である。近代の解釈し尽くすことの無理について考えたのは、ヨーロッパだけか?そうではない。もっとトータルに日本近世思想の言葉で学ぶことができよう。伊藤仁斎は学びの意義をはじめて言ったが、ここを批判的に継承して荻生徂徠が書いているのは、言葉で教えることの限界をよく考えた学びの意義である。わたしはそう気がついてきた。以下は、徂徠の『弁名』の言葉。「学ぶことの既に博き、故にその喩る所は、遺す所有ることなきのみ。且つ喩る所は、詳(つまびら)かに、これを説くといえども、また唯一端のみ。礼は物なり。衆義に苞塞(ほうそく)する所なり」(荻生徂徠)(しかも言葉をもって教えるというのは、たとえ詳しく説いたとしても、常に一端をしか説きえないのである。礼とは物である。多くの義(意味)で一杯になっている。巧みな言葉で説きえたとしても、とてもその義を言い尽くすことなどできることではない。子安訳)‬

「聖人とは制作者である」(子安宣邦、徂徠学講義「弁名」を読む 第六講)

‪聖人とは制作者‬である

•‪聖とは作者の称なり。楽記に曰く、「作る者これを聖と謂い、述べる者これを明と謂う」と。表記に曰く、「後世作者有りといえどもう、虞帝に及ぶべからざるのみ」と。古えの天子は、聡明叡智の徳有りて、天地の道に通じ、人物の性を尽くし、制作する所あり、功は神明に侔し。利用厚生の道、ここにおいてか立ちて、万世その徳を被らざることなし。‬

•‪いわゆる伏義・神農・黄帝は、みな聖人なり。然れどもその時に方りては、徳を正すの道未だ立たず、礼楽未だ興らず。後世、得て祖述することなし。尭舜に至りて、礼楽を制作し、徳を正すの道始めて成る。君子は以て徳を成し、小人は以て俗を成し、刑措きて用いず、天下大いに治まり、王道ここに肇まる。これその人倫の至りにして、造化を参賛し、以て天地の道を財政し、天地の宜(ぎ)を輔相(ほしょう)することあり、しこうして立てて以て万世の極となす。孔子、書を序するに唐虞より断ちし所以のものは、これがための故なり。三代の聖人もまたみな尭舜の道に遵いて礼楽を制作し、以て一代の極を立つ。‬

•‪けだし歳月反らず。ひと亡び世遷り、風俗日にうすく、以て汚れ以て衰う。これを川流の()として得て挽くべからざるにたとうなり。三代の聖人、そのかくのごときを知り、すなわち前代の礼楽に因りて損益する所あり、以て数百年の風俗を維持し、それをして遽に衰うるにおもむかざらしめしものは、ここにおいてか存す。それ尭・舜・()・湯・文・武・周公の徳、その事業の大と神化の至れるは制作の上に出ずるものなきを以て、故にこれを命けて聖人と曰うのみ。‬

孔子は何ゆえ聖人か‬

‪•孔子に至りては すなわち生まるること時に遭わずして、制作の任に当たること能わず。しこうしてその時に方りては、先王の道の廃墟すでに極めれり。すなわち先王の道に非ずして、命けて以て先王の道となす者あり。先王の道にして、しりぞけて以て先王の道となさざる者あり。是非こう乱して、得て識るべからざるなり。孔子、四方に訪求し、おさめてこれを正し、然るのち道大いに孔子に集まり、しこうして六経ここに於いてか書せらる。故に中庸に曰く、「いやしくも至徳ならずんば、至道凝まらず」と。これの謂いなり。‬ ‪•且つその一ニ、門人の与に礼楽を言いし所のものをもて、制作の心は得て窺うべし。故に当時の高弟の弟子、宰我・子貢‬・有若の如き、すでに称して以て聖人となすものは、ただにその徳を以てするのみならず、また制作の道の存するがための故なり。仮に孔子なからしめば、すなわち先王の道は亡びて久しからん。故に千歳の後、道はこれを先王に属せずして、これを孔子に属す。邪説異教の徒といえども、また孔子を聖人に非ずと謂う者有ることなければ、すなわち宰我・子貢・有若の言、はたして今日に徴あるのみ。‬ ‪•それ孔子の徳は至れり。然れども宰我・子貢・有若・子思の言なからしめば、すなわち吾れいまだ敢えてこれを聖人と謂わざるなり。それ我が見る所を以てその聖人たるを定むるは、特躁なき者のみ。特躁なきはすなわち吾れあに敢えてせんや。然りといえども、古えの聖人の道は、孔子に籍(よ)りて以て伝わる。孔子なからしめば、すなわち道の亡ぶこと久しきならん。千歳の下、道ついにこれを先王に属せずして、これを孔子に属するときは、すなわち我もまたその尭舜よりも賢れるを見るのみ。けだし孔子の前に孔子なく、孔子の後に孔子なし。吾れは聖人に非ざれば、何を以てか能くその名を定めんや。故に且くこれを古えの作者に比して、聖人を以てこれに命くるのみ。‬

孔子ははたして聖人か‬

‪湯武もまた聖人である‬

‪・後儒に湯武は聖人に非ずと謂うものあり。これ忌憚なきの甚だしきものなり。その説は孔子の「武は未だ善を尽くさず」と、孟子の「これを性にす」「これを身にす」と誤解するに本づく。殊に知らず、孔子は楽を語りて、未だ舜武の徳に及ばず、孟子はただ尭舜は生知にして、湯武はすなわち尭舜の道を学びて以てその徳を成すを言いしのみ。あに優劣の論ならや。 ‬ ‪・けだし‬‪それ尭・舜・()・湯・文・武・周公は、作者7人にして、その制作する所の礼楽政教は、君子これを学ぶ。故にこれを学に祀る。伝に曰く、「先聖先師に釈てんす」と。また曰く、「天子まさに出征せんとせば、上帝に類し、社に宣(ぎ)し、でいに造し、制する所の地にばす。命を祖に受け、成を学に受く。出征して有罪を執、反りて、学に釈てんし、訊かくを以て告ぐ」と。これ学に祀るところの神なくんば、何の成を受くる所ぞ。詩に曰く、「既にはん宮を作る、わいい服するところ、嬌嬌たる虎臣、はんに在りてかくを献ず、淑く問うことこうようの如き、はんに在りて囚うぃ献ず、はんに在りて功を献ず」と。これその事なり。‬ ‪明堂位に曰く、「米りんは有ぐ氏のしょうなり。序は夏后氏の序なり。こ宗は殷の学なり。はん宮は周の学なり」と。祭義に曰く、「天子、四学を設く」と。これ天子の大学は、四代の制を兼ね、よの聖人を合祀すること審(つまびら)かなり。‬ ‪

‪(評釈 祭・政・教一致論)‬

MEMO 内藤湖南の歴史を読む視点。貴族における従属物としてあった王と民衆とが台頭したのは、貴族同士の争いが招いた彼ら自身の没落によってである。王と民衆が直に結びつく。王は貴族の反乱を防ぐ為に貴族で構成される官僚機構を作る。戦争の原因となる報復の互酬性が終わり、天における超越性が始まる。天と君主の関係がいわれてくる。こういう歴史観は、ヨーロッパでもアジアでも適用できるか。日本の場合、「応仁の乱」から明治維新に至る、武士・貴族・官僚・軍人の「権門体制」の再構成の歴史を読み解く視点となる。 人間全体の視点と人間の内部的視点を切り離せない。祭祀体系と官僚機構の両者は共に国家を誕生させたと考えると、この視点から言えることは、こういうことだろうか。人はどこからきてどこへいくのかと未来を思い出すことによって語り得ないものを語るという一線を超えた過剰に古代的な祭政一致的国家の理念像が呼び出されるとき国家と共に崩壊するのは、官僚的合理支配である。歴史修正主義の政権は、なにかどうも、伊勢サミットを契機に一線をどんどん超えてしまおうとしているという気がしてならないのだけれど 参考として、以下、子安氏(『徂徠学』"聖人とは制作者である")からの引用。「古代先王の「礼楽」的世界を徂徠は、祭祀と政治と学校とが一つであるような世界としてとらえているようだ。ここに近代の全体主義的国家(天皇制国家)の先取り的な表現をあえて読めば、徂徠は恐るべき古代の回想的な予言者となる。徂徠は日本古代に祭政一致的国家の理想的な実現を読んでいる。徂徠における祭政一致的古代国家の理念像は日本古代と先王の古代との読みからもたらされる相関的な構成物化もしれない。」(p.124-125) 未来を思い出すこと、それによって、近代(近世)における古代のものとしての祭政一致的国家の理念像が呼び出されることがいわれる。

・‪夫れ六経博しといえども、何を称するとして天に非ざる。礼に必ず祭り有り、事に皆祭り有り。瑞瑞栗栗として、唯、罪を鬼神に獲んことを恐るるなり。聖人、神道を以て、教えを説くるは、豈、較然として著明かならざらんや。礼楽廃して、性理興るにおよんで、天は心無きなりと曰い、鬼神は気なり、祭りはすなわち我が誠を致すのみと曰う。是れその意に謂えらく、先王我を欺くなりと。而して我その心をうかがうと、夫れ知を好みて学を好まず、かの道を賊うに至る。人の自らを聖とする、一に斯に至る。不ねいもけい、生るるや挽く、未だ我が東方の道を開かず。然りといえども、窃かにこれを其の邦たるに観るに、天祖は天を祖とし、政りは祭り、祭りは政りにして、神物と官物と別なし。神か人か、民の今に至るまでこれを疑い、しこうして民の今に至るまでこれを信ず。是れを以て百世に王たりて未だ易らず。いわゆる身を蔵すことの固きものか、非ざるや。後世聖人の中国に興ること有らば、すなわち斯に取られん」‬

‪祖宗と天とは一なり‬

‪・それ古えは祖を祭りてこれを天に配したれば、すなわち祖宗と天とは一なり。これてん大事を興すに、その命を受くる所は、ただ天と先聖とのみ。故に曰く、「君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏れる」と。これ君子の畏るる所も、またただ天と先聖とのみ。これ異代の聖人といえども、これを尊崇することかくのごとくそれ至れるなり。いわんや夏の()における、商の湯における、周の文武におけるは、みな開国の太祖にして道のよりて出ずる所なり。天下の貴賎となく、その礼楽法制を奉じ、あえてこれに違わず。しかるをなんぞ義するをなさん。古えの道しかりとなす。故に孔子よりして上は、聖人の徳を優劣する者あることなし。‬

‪内を主となすの非‬

‪・それ聖人もまた人のみ。人の徳は性を以て殊なれば、聖人といえどもその徳あに同じからんや。しかるに均しくこれを聖人と謂うものは、制作を以ての故なり。ただ制作の迹をのみ見るべし。その見るべきに就きて以てこれに命づけて、敢えてその徳を論ぜざるは、尊ぶの至りなり。古えの道しかりととなす。後儒の精を尊び、祖を賤しむの見は、内を主と為せばなり。故に礼楽これを道と謂うを知られざるなり。また聖人の称は制作に因りてこれを命くるを知らざるなり。徒だその徳を以てこれを論じ、しこうして徳は以て殊なるも、徳は殊なることは以てその聖たるを病ましむるに足らざることを知らざるなり。妄意に謂えらく、聖人の徳は宜しく一なるべしと。しこうしてその殊なる有るをみれば、すなわち、「孔子は尭舜より優る」と曰い、「湯武は聖人に非ず」と曰う。あに忌憚なきの甚だしきものにあらずや。 ‬

『日本の夜と霧』は、日本シュールレアリスムの『昼顔』

シュールレアリスムというのは、知識人が反知性的に表現していく。世界を解釈し尽くす理に隠蔽されるその隠蔽を反知性的に表現していくとき、ブニエルからの‪影響をもつ大島渚‬における近代という欺瞞の全体性を指示した『日本の夜と霧』は、ほかならない、日本シュールレアリスムの『昼顔』であるとだけ言っておこうとおもう

『日本の夜と霧』は、日本シュールレアリスの『昼顔』

シュールレアリスムというのは、知識人が反知性的に表現していく。世界を解釈し尽くす理に隠蔽されるその隠蔽を、反知性的に表現していくとき、ブニエルからの‪影響をもつ大島渚‬における陰険かつ欺瞞的なものを指示する『日本の夜と霧』は、日本シュールレアリスの『昼顔』だ