世のあらゆる筋書きは、この百年間の映画に言い尽くされたはずです。現在思い出すのがどんどん難しくなっています。音楽をきけば映像が生き生きと蘇りますが、映像しか思い出せません。もっと言うと忘却とは、既に過去に言われていても、何もかも初めてきいたとしたい欲望によるのでしょう。そのこと自体がドンキホーテ的な愚者の物語を構成します。嗚呼わたしはこのなかに彷徨っているのかもしれませんな
サイードとバレンボイム
何故、イスラエルで敢えてワーグナーを演奏するのか?私達ユダヤ人をガス室で消滅し尽くそうとした敵の芸術を、ベートヴェンとワーグナーを、私はかくも愛しているのだ、と、バレンボイムはイスラエルの観客に示そうとしたといっています。つまり、現在の敵である、パレスチナ人を愛することはどんなに容易いことか、を考えさせようとしたのですね。
最後のページで、サィード「オリエンタリズム」は、the field days、北アイルランド紛争地で活躍した草の根の演劇活動(その組織の運営のトップは、カトリックとプロテスタントが半々で構成されていました。)に言及しています。明らかに、バレンボイムは、この文化による平和戦略の役割を意識していました。イスラエルで行ったワーグナーの演奏は、イスラエル人とパレスチナ人の半々で構成されたオーケストラによるものでした。
ちなみに、イギリス滞在時代は、ロンドンでベートベンピアノ全曲演奏を行いました(二週間毎晩行きました。)この演奏活動と平行して、新聞・ラジオを通して、またはパネル・デイスカッションの場で、イスラエルとパレスチナの和平のシナリオを共に書くことを人々に訴えていました。
That's why Adorno makes such a thing of late Beethoven ; for him, late Beethoven is really the presagement of the alienated music of Schoenberg and, I suppose, the other contemporary masters that we're talking about - in other words, that they are meant to be composed in a different and intransigent way. - E.W. Said
本居宣長
140字でまとめられるのだろうか?ムリ無理、わたしのような者には全然無理なのだけれど、とりあえずこうではないかと書き留めておこう。最初に、宣長の考え方を言語的アプローチから切り離してしまうことはできない。古えの心はただ古えの言葉に定位している。ところが、そうは言ってみても、漢字に書き記された古えの言葉は漢字を離れてはどこにも存在しない。言語の端から他者を考えること。理屈っぽい宣長によるこの方法論的徹底が、古代人の心を読もうとするならは漢字から考えれば十分だということを証明してしまった。彼は証明するつもりもなかっただろうが、物語ろうとした内容と全く反対のことを話してしまったのである。
「漢(から)ざまのさかしら心うつりてぞ世人(よひと)の心惡(あ)しくなりぬる」(本居宣長『玉鉾百首』)
再び習俗儀礼について
対話的ロゴスとヒューマニズム
アジアは、西欧を貫きそれで成り立っている対話的ロゴスが無いかもしれない。ところで漢字の受容から1000年たった17世紀に日本思想が成熟するとき、人間の思想が出てくることになった。これは何を意味するのか?ヒューマニズムというのは、対話的ロゴスが指示するが、いつのまにかそれと同一化してしまったのではあるまいか?それは近代の問題を構成するのかもしれない。