天皇ファシズムの現代における救済神学的メタモルフォーゼ

最初から問題は、天皇ファシズムの安倍政権における救済神学的メタモルフォーゼだった。‪「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうか」といわれて、過去のドイツ全体主義の傾向と対策を勉強して憲法を変える手口だけを監視していた。しかし安倍政権は祭祀一致的な方向を推進していたのだ。

白豪主義

四年間の子供時代のオーストラリアは、白豪主義といわれる人種主義の最後の数年間に属していた。シドニーをたつとき、隣の大工の息子だったBruceが、「いつもオーストラリアを思い出すように」と記念にくれたのが先住民である砂漠にいるアボリジニーAborigineを記録した写真本だった。この本を開いたとき、地面が崩れるほどの衝撃だった。それらは、日常において自分が見ることができなかった、痕跡のない他者の存在を示してくれた写真だった。

フーコのルソー論 (引用)

「古典主義時代にて同じものをさらに新たな比喩形象によって名指すという任務を帯びていた文学は、やがてそれまで決して名指されたことのないもの、或いははるかな語の襞の中に眠っていたものを、ついに正当な語によって名指すという任務を帯びるに至る」。これはフーコ『言葉と物』よりの引用。例えば、ルソー『夢想』「第五の散歩」をみよ。ここで、フーコは次のようにも言っている。「ルソーは『告白』冒頭で「自己が今の自己になるのは時間の中でである」という先見の明ある認識を力説した。彼が自分自身の成長に力点を置いていることはマテシス・空間配置に基盤を持つ啓蒙時代のエピステメーから十九・二十世紀初期のそれの構成原理たる時間性と因果性へと至る転換の鍵となる要素だ。」)

写真家 チェゲバラ ?

アイルランド時代に原爆ドームを訪ねたとき、西部に来たときと同じで、どうやって撮っていいのか分からなかった。50年代は周りに建物が無かったこともあるだろうが、チェゲバラは、それを、0を除いた数直線(0を除いた実数全体の集合)みたいに撮っているんだよね。対象を構成できないというわからなさを含めた、全体をみるためにはどこからみるかということを教えてくれる‬。恵比寿で展示されているという彼の写真を見に行くかな。

‪68年のアイコン、チェゲバラ。医者だったときのわかいときの写真をみると背広を着ている。十年間の読書記録があるほど本を読みまくっていたという。常にカメラを持ち歩いて、神殿の文化遺産をうまく撮っている。いまでいう個人撮影のマニアでこれは自己イメージの確立に役立ったのかもしれない。ポストコロニアル世界の偶像再興としての"チェゲバラ"ー雄弁で貧者に治療を行なったキリストーのイメージ。アイルランドからきた移民で、共同体マインドをもち弁が立ったという祖父からの影響が、信じられないほど過剰に物語られているようになってきたのがなんか面白い‬よね

アインシュタインの手紙

君がピアノを楽しんでいるようで、父さんはとてもうれしいよ。父さんは、君ぐらいの年の子はピアノと大工仕事を追求するのがいいと思っているんだ。それこそ、学校よりもね。それらは、君のような若い人にとても合っているから。ピアノの先生から指定されなくても、自分が楽しいと思う曲を弾くといい。なぜなら、それがいちばん学べる方法だからね。楽しいことをしていると、時が過ぎるのも忘れてしまうだろう。父さんもときどき、仕事に没頭しすぎて、お昼ご飯を忘れてしまうことがある。I am very pleased that you find joy with the piano. This and carpentry are in my opinion for your age the best pursuits, better even than school. Because those are things which fit a young person such as you very well. Mainly play the things on the piano which please you, even if the teacher does not assign those. That is the way to learn the most, that when you are doing something with such enjoyment that you don't notice that the time passes. I am sometimes so wrapped up in my work that I forget about the noon meal. . . .

アインシュタインが息子に書いたこの一文を読む限りでは、学校中心ではなくて子供中心に考えようじゃないかといっているという感じにとりましたが。ピアノと大工仕事でなければ、自分の中から起きてくる楽しいものを引き出すのは難しいと思っていたかも?アインシュタインが子供時代の自らに答えたというか、これから自発性の人生を歩みだすひとたちに答えた文の性格ももっているとおもいました。ところでユダヤ人は自分たちは教育を大事にしてきたというプライドがありますね。アラブとの関係も教育を通して良くしていくことが可能だと訴えていたロンドンのリベラルなラビがいました。アインシュタインは、ヨーロッパ人としてのドイツ人としての出発はフロイトと同じで、コスモポリタンですが、イスラエルの大統領になってほしいといわれたり、社会主義としてのイスラエル共同体の可能性について擁護したり、亡命先のアメリカ時代は非難の集中砲火を受けたりという、時代的に政治アイデンティティ翻弄されるそのなかで、もう教育を拠り所にするしかやっていけないんだというかれの思いがこの文に書かれているのかもしれません。大げさにではなく、穏やかにさりげなくですがね。その内容は白紙というか、これこれをこういうふうに教えたりしたら効率がいいとかどうもそういう話だけじゃなかっただろうと想像しています。