‪無限<方向づけできない>は、‬

‪世界<x,y,z,>を以て‬

‪表現できるものではないけれど、‬

‪cine-psychos-mos

‪<x、y、z、t1、t2、仮面ε、仮面ψ>‬

‪ならばなんとか表現できるかもしれない。‬

‪それはセリー(系列)

‪集まるが、雑じり合わない‬

‪単純に、相い続いて絶えない‬

‪無限<方向づけできない>は、‬

‪世界<x,y,z,>を以て‬

‪表現できるものではないけれど、‬

‪cine-psychos-mos

‪<x、y、z、t1、t2、仮面ε、仮面ψ>‬

‪ならばなんとか表現できるかもしれない。‬

‪それはセリー(系列)

‪集まるが、雑じり合わない‬

‪単純に、相い続いて絶えない‬

退廃美術展

ベンヤミンナチスを芸術の政治化といった。だがナチスの芸術をさがしてもそれほど意味がないだろうと思う。ナチスシュールレアリズムを通じて表現を得た芸術それ自体をゴミとみなしたのではないか。退廃美術展はゴミからはゴミしか生まれないことを示したとき、現代的にその位相的意味を理解していたのではないだろう。問題は、ナチスはこの展示にどのように意味づけたかにある。政治の矮小化が極限にすすんで私しかなくなっていくナチスの領域において、巣穴的ネットワーク<芸術家>を根絶したその場所からはじめて(かれらの)公が生まれたのである‬まいか。彼らはそう考えた。‪戦争責任を問われるほどではないような、なんとなくそう促した文化人たちが周囲にいただろう。皮肉にもそれは、大衆から成る、全体主義の時代の私からはどこまでも私しか生まれないことを歴史に示してしまったのであるけれど。このヤバイ時代だから現在をその時代に投射して考えることになるのかもしれない‬

ハロッズ

ハロッズのモットーはOmnia Omnibus Ubique - 「あらゆる商品を、あらゆる人々へ、あらゆる場所へ」。いかにもレトリック・ワールド・ナンバーワン、ヴィクトリア朝の時代がいいそうな言葉である。だけれどロンドンにいたときは、そもそも家賃が高すぎたし無慈悲な物価高、また凄まじい為替高の為にお金が無さすぎて、ハロッズのカフェへいく余裕などなかった。あれから八年、今夜待ち合わせ場所にしていたのに、どうやら彼方の事情で、すでに銀座から撤退してしまったという。インフレのロンドンでも、不況の厳しい東京でも、嗚呼、出会えなかったハロッズ...

『仁斎論語』の"忠恕"

‪「子の曰く、参(しん)か、吾が道一以てこれを貫く。曾子の曰く、唯(い)。子出ず。門人問うて曰く、何の謂いぞや。曾子の曰く、夫子の道は、忠恕のみ。」(『論語』里仁第四、第十五章)‬


‪( 訳)「孔子がいわれた。参よ、わが道は一を以て貫かれているのだ。曾子はその言葉を聞いて、はい、と答えた。夫子(孔子のこと)が退出された後、門人は、先生のいわれるいわれる一をもって貫くとはどういう意味なのかと尋ねた。曾子はいった。先生の道はただ忠恕のみだと言った。」‬(『仁斎論語』)

‪ここで、「道」と「一」について問われている。道とは何か?一とは何か?現代口語訳のイメージに頼ると行き詰まる。(口語訳のイメージをイメージするみたいになる)。そこで役立つのが17世紀仁斎の解釈と解説である。仁斎によると(里仁第七章「大意」)、「道とは何か。人が人となるゆえんをなすもの、すなわち人がそれに基づくことで人であることのできるもの、それが道である。人として、この大事な道を開くことがなくては、それは空しく生きていることである。」(子安氏訳)。さて、本文の注解で最初にこういわれている。「吾が道とは、我が道とする所はということである。一とは、二つではないことである。貫とは統べること。道は広大とはいえ、一つであって、雑じり合うものではない。...」(子安訳) 。興味深いのは、「一つであって、雑じり合うものではない」とする説明である。

仁斎は『論語古義』で、解釈的解説を書いているだけはない。『論語』注釈書以上の古義楽隊的思想書の意味をあたえているのは「論注」であるという。17世紀にすでに、多様体と等価の問題が議論されているようである。「論注」では、朱子の解釈を示したうえで、これに反駁している。仁斎が拒んでいるのは、朱子が理解しているように<一>のもとに多を包摂し尽くすあり方である。そこでは、「忠恕」という関係の自立性が失われている。

最後に、子安氏の評釈はこういう。「仁斎によるこの章の理解は彼の『論語』理解を代表するものである。『忠恕の二者は、すなわち仁を求むるの至要にして、聖学の始めを成し終わりを成す所以のものなり。けだし忠恕はこれを一貫する所以なり」、「人に対するのに実をもってする忠と、相手の身になって考える如とが、孔子の道と教えとを一貫するものだと、曾子とともに仁斎はいうのである」(『仁斎論語』151-152頁)‬

『仁斎論語』

‪「子の曰く、参(しん)か、吾が道一以てこれを貫く。曾子の曰く、唯(い)。子出ず。門人問うて曰く、何の謂いぞや。曾子の曰く、夫子の道は、忠恕のみ。」(『論語』里仁第四、第十五章)‬


‪•(訳)「孔子がいわれた。参よ、わが道は一を以て貫かれているのだ。曾子はその言葉を聞いて、はい、と答えた。夫子(孔子のこと)が退出された後、門人は、先生のいわれるいわれる一をもって貫くとはどういう意味なのかと尋ねた。曾子はいった。先生の道はただ忠恕のみだと言った。」‬

‪ここで、「道」と「一」について問われている。道とは何か?一とは何か?現代口語訳のイメージに頼ると行き詰まる。(口語訳のイメージをイメージするみたいになる)。そこで役立つのが17世紀仁斎の解釈と解説である。仁斎によると(里仁第七章「大意」)、「道とは何か。人が人となるゆえんをなすもの、すなわち人がそれに基づくことで人であることのできるもの、それが道である。人として、この大事な道を開くことがなくては、それは空しく生きていることである。」(子安氏訳)。さて、本文の注解で最初にこういわれている。「吾が道とは、我が道とする所はということである。一とは、二つではないことである。貫とは統べること。道は広大とはいえ、一つであって、雑じり合うものではない。...」(子安訳) 。興味深いのは、「一つであって、雑じり合うものではない」とする説明である。仁斎は『論語古義』で、解釈的解説を書いているだけはない。『論語』注釈書以上の古義楽隊的思想書の意味をあたえているのは「論注」であるという。17世紀にすでに、多様体と等価の問題が議論されているようである。「論注」では、朱子の解釈を示したうえで、これに反駁している。仁斎が拒んでいるのは、朱子が理解しているように<一>のもとに多を包摂し尽くすあり方である。そこでは、「忠恕」という関係の自立性が失われている。子安氏の評釈はこういう。「仁斎によるこの章の理解は彼の『論語』理解を代表するものである。仁斎は、『忠恕の二者は、すなわち仁を求むるの至要にして、聖学の始めを成し終わりを成す所以のものなり。けだし忠恕はこれを一貫する所以なり」、「人に対するのに実をもってする忠と、相手の身になって考える如とが、孔子の道と教えとを一貫するものだと、曾子とともに仁斎はいうのである」(『仁斎論語』151-152頁)‬