‪「安倍さんの国じゃない、僕らの国なんだよ」という。‬

‪わたしならばこう言う。‬

‪「国をつくりなおそうと一生懸命になればなるほど、

安倍さんの国になっちゃうんだよ。」‬


‪「同盟国である」という。‬

‪武器商人の大統領さんから‬そういわれて

‪そんなに嬉しいものなのか?‬

‪アジアで戦争が起きないかと商売が追いかけてくる。‬


‪「核兵器を作っておく技術、持っておくべき」という。‬

‪技術がなくとも、崩壊ならば、

毎日核家族が崩壊しているさ‬。

‪地下に潜った原子炉をシャットダウンするひともいない...‬

表象と言説 ー 「安倍政治」を読み解く

‪建築物は人間の住処であるように、言説は表象の住処である。安倍政権は、‬アベノミックスネオリベグローバル資本主義の対抗を演出しているが、「この道しかない」=「市場」の語で、「日本を取り戻す」の語を表象させている。問題は、いかなる言説に、その語がすんでいるかにある。「国難」にたいしては、文化を以て解決するしかない(「国家神道は文化である」)、デモクラシーでは解決できないだろう、「市場」への民主的介入なんかとんでもない、ということを伝えている、とわたしは読み解いている。‪<解体>ケインズ経済学(マネタリズム・合理的期待形成学派・サプライサイド経済学)の研究のおかげで?政党間の差異が消去されることになったことが忘却されてしまったが、この忘却のもとに、もはやどこの党に入れても決められているかのようであると今日感じられる。だけれど、‬「安倍政治にNo!」は、「安倍の言説の政治にNo!」を意味していた。内閣不支持率が高いのに自民党は投票でYesを獲得した。投票とて投票以上の意味をもっている。それは数に還元できない言説のプロセスを為す。Yesと言うとき、まさに、Noと言っているのではないだろうか

旅としてのデカルト

‪建築物は人間の住処であるように、旅というのは人生の住処


‪「私は〈訓育者〉におとなしく従わなくてもいい年齢になると、[…]残された青春時代を旅に費やすことに、[…]色々な気質・身分の人達と交わることに、色々な経験を積むことに[…]使いました。」(デカルト方法序説』)‬


‪sitôt que l'âge me permit de sortir de la sujétion de mes précepteurs...J'employait le reste de ma jeunesse à voyage...fréquenter des gens de diverses humeurs et conditions, expériences, à recueillir diverses expériences...‬

‪ー Descartes ' Discours de la méthode ' 1637‬

ユーモア

‪‪エンデのユーモアについて語っている文を読みました。『他者を手段としてのみならず、目的としてとらえよ』は、ユーモアじゃないでしょうか。他者を手段にしなければ失敗するし失敗してもいいんだよと。私たちには足りないところがあるから、だからこそ愛されるのだと教えてくれるのかもしれません。‬


‪「ユーモアは子どもたちに、人は失敗するし失敗してもいいんだと語ってくれるからです。いやそればかりか、私たちには足りないところがあるから、だからこそ愛されるのだと教えてくれます。 」『エンデのメモ箱』

連邦制について

連邦制とは何でしょうか?連邦制には、多様性をもつ個体(共同体)が独立性を保っていかに全体と関わるかという課題があります。それだけはありません。連邦制の根底に、委ねられた権力を超えない、check and balance (三権分立)の考え方があります。権力に対する抑制が働かないと、集中してきた権力から、何か自己の生存(自己の自己にたいする統治)が脅かされている不安がおきています。トランプ大統領に対する不安感、安倍政権に感じる不安感のことです。さてアメリカやスイスの連邦制は、インデイアンからの影響があったかという論争があります。インデイアンは自分たちの生存の戦略として具体的に考えていたと思いますよ。影響関係を否定する意見にたいしては、一般的に事柄として、先行する文化が忽然と消滅してしまうとはかんがられないことですね。消えたようにみえても、痕跡はかならず残ります。インデイアンの文化が存在したことは否定されていません。文化が存在した以上、現在のアメリカに影響を全く残さなかったとは考えられません。実はこの話は、ネグリ&ハートの本を読んではじめて知りました。ここでは彼らの話を、「民」を大文字で書いた'立憲民主'に即して解釈しているのですが、一国主義のどの国民とは嫌ですが、マルチチュードの理念として、インデイアンたちの亡霊とならば連帯できないだろうかという思いです

I learn the Iroquois from Wili

The Iroquois (/ˈɪrəkwɔɪ/ or /ˈɪrəkwɑː/) or Haudenosaunee (/ˈhoʊdənoʊˈʃoʊni/) are a historically powerful northeast Native American confederacy. They were known during the colonial years to the French as the "Iroquois League," and later as the "Iroquois Confederacy," and to the English as the "Five Nations" (before 1722), and later as the "Six Nations," comprising the Mohawk, Onondaga, Oneida, Cayuga, Seneca, and Tuscarora peoples.


Historians in the 20th century have suggested the Iroquois system of government influenced the development of the United States's government. [citation needed] Contact between the leaders of the English colonists and the Iroquois started with efforts to form an alliance via the use of treaty councils. Prominent individuals such as Benjamin Franklin and Thomas Jefferson were often in attendance. Bruce Johansen proposes that the Iroquois had a representative form of government. The Six Nations' governing committee was elected by the men and women of the tribe, one member from each of the six nations. Giving each member the same amount of authority in the council ensured no man received too much power, providing some of the same effect as the United States's future system of checks and balances.

武士とはだれか?

‪武士とはだれなのか?武士とは何か?そのオリジナリィティは何か、まだわからないままである。武士はずっと野蛮だったのか?否、彼らは徳川ジャパンの時代にはいると制度の中で役人的に学んだ。殉死する武士というのは、平和の時代に発明された。中江藤樹のように聖人になったものもいれば、荻生徂徠みたいに近代天皇制の青写真を作った、今日ならば社会哲学の理論家もいた。また都合よく思い描かれているほどにはずっと伝統主義者だったか。否、そもそも武士は朝廷・寺社・貴族に反抗してきた。確かに下級武士は「過去」を以て明治維新を推進した。だが維新後に「過去」を全否定する。自由民権運動へ行った後、中には大陸へ行くゴロツキ植民地主義者になった者もいた。全否定と書いたが、単純ではない。渋沢栄一のような明治の官僚・実業家は「論語」を解説できる、江戸時代の教育のピーク(天保11年)に生まれた「武士」だった