香港最高裁

政治的多元主義


香港最高裁は「雨傘運動」指導者らの実刑判決を破棄したという。アジア民主主義における多様性のあり方をはじめて問う判決かもしれない。学生のとき、研究会のOBに、当時は引退していたが、私大から初めて最高裁判事となった方がいた。彼の脱イデオロギーのリベラルな立場にたいしては賛否両論だったようだ。原稿執筆を依頼したところ、中国語と英語の通訳者が位置する場所も示した香港裁判所の図をいれて書いてきた。旅行で裁判所を見学したという。管轄権をテーマにしたこの原稿を読んだとき、他国の制度についての知識を得たというぐらいしか感想がなかったのはわたしの視野の狭さをおもったりしたが、それで済ましてはいけないんだという、勘というか、多様性について根本的に何か非常に大切なことがいわれようとしているようにかんじた。

寺山修司

寺山修司の名を知ったのは覗きで捕まったと伝えた新聞報道だった。映画撮影と演出をやっていた方から、「君は俳優になるしか生きていけない。その言葉遣いは駄目だ。寺山は青森弁を日本女子大で習ったと自慢してた」といわれた。寺山の芸術に感じる心たちを感じる幸せなときがある

安倍晋三とはだれだったのか?


安倍は信念をもたないという意味で自民党の中でも際立った特別の政治家だという気がします。彼の歴史修正主義も、特定の信念に裏づけされているのではなく、全く信念がないからこそ、成り立っているというかんじですね。この男は、自分の支持率を保つためならなんでもやるのです、政権維持のためなら、A級戦犯分祀だってやるかもしれませんよ。そういう意味で、怪物といわれるのだとおもいますが、支持率ということに縛られている点において、怪物は自由に喋っているとはいえないのです。その怪物も、トランプ怪獣の登場で、ご用済みになったようです。(あとは、ミサイル頼み?) このクニは世界第三位といわれていますが、そう長くは続かないでしょうから、没落するまえに、中国の金融システムにはいって人権問題をはじめアジアの民主主義のあり方を提言したほうがいいですね。それは、まさか日本が他国に民主主義を教えてやるという意味ではなく、中国にしっかりしてもらわないとアジアと日本の民主主義も成り立たなくなってきたという意味においてです。民主主義とは何かは永遠の課題ですが、自由に喋らせてくれるということがなければ民主主義は不可能でしょう。この民主主義に方向づけられる形で、トランプ、習近平、安倍が終わる五年後に向けて、今年は変化が激しくおきる色々な意味で大事な年になるのではないかと予感しています。

たしかに、トップの映像をこれでもかこれでもかとみさせられているので迷惑極まりないのでありますが、こういう醜い政治家の像は距離をもって批判するために必要なものでしょう。安倍晋三は怪物である、安倍に謎がある、とするのは、かんがえてみたのですが、同意するところが多々ありますが、どうもわたしの構成ではありません。わたしがおもうに、合理的なもの(合理的思惟)が貫かれなければならないとする合理と非合理の二項対立の近代主義の謎があるだけです、そうおもっています。1970年からはじまった思想闘争を通じて変革しなければならないのは、安倍の歴史修正主義(ヨーロッパ中心主義の鏡像)とかれが依拠している、正常\異常という近代的な物の見方です、わたしが心配している他国にたいするヘイトスピーチのことですけれど

そもそもこれまでそれほど多様性があったのかという疑問も含めて、(だからこそ安倍戦争法を抗議したデモの中から女性の「自由に喋らせてくれ」という声が出てきたわけで、今迄そんなことを言う人はだれもいなかったのです)、絶望するしかなくなったわけですけれど、少なくとも、民主主義を構築していくアジアにおける未来の人びとに、構想された多様性はどういう条件で崩されてしまうのかという歴史的教訓は残せそうですかね?もちろん伝える努力が必要ですけれど、そのときどういう視点をもって語るか、一人二人でもこういう場を利用して、議論をつうじてですね。他者(共同体も含む)にたいして、何をつたえたかという内容よりも、相手がどのように理解するのかということを常にかんがえることが大事、考えるだけでなく行うことが多様性のために要請される、そんなことを思っています。反知性主義が問題とされていますが、寧ろ問題は多様性を崩してしまう反道徳主義にあるとおもうのです。いかにも明治の響きがする「国民道徳」は、ヘイトスピーチを作り出す反道徳主義に転化しないのでしょうかね


ユダヤとアラブ

‪なーんか変な夢をみつづけるよね。風邪で頭がボーとしていて、どうしたんだろう?妄想が泉みたいに次々わいてくるんだけれど。と、ロンドンのユダヤ人とイスラム人が朱子と弟子たちの議論を読んだらどういうことになるかなんて、風邪だからかんがえることだろうなあ。思い返してみると、イスラエル人は、死後の魂の行方よりも移住した国できちんと祀られているのかに関心があった。ユダヤ人墓地にいくと、その国でいかにユダヤ人たちが受け入れられたかがわかるといっていた。ドイツの墓地をみると、いかに嘗てのベルリンのユダヤ人たちがロンドンのユダヤ人と比べて、裕福に暮らしていたかその生活の全体がわかるという。(彼のお父さんは戦前のベルリン大学出身のコミュニストで、ソビエトへ行くが、失望してイスラエルへ移った。) さて私に震えながら話してくれた肉体の復活はどうも思想問題に属する事柄らしい。帝国的に?神は普遍しか知ることができないように、魂の集合は肉体から離脱した後に個体性を失ってそうなる。だがユダヤ人にとって、それは共同体との関係を重んじる感情が容易に受け入れることができぬ理性偏重の考え方だろう‬。イスラムの帝国的な理性を中心とした思想を批判すると同時に、ユダヤ思想がオリジナリティーを以てアラブ世界から自立していった話が繰り返されたが、思想問題と歴史問題がこの話に交差しているようであった。カフェでよく言い争ったが、初期ユダヤ思想の哲学者たちはアラビア語で書いたのであるから、それはイスラムの思想からの論争的な'自立'とみるべきではないかと言うと、何語で書かれたかは問題ではないとするイスラエル人は'独立'だとはっきり言う。この点を深めるには、当たり前だが、私は言葉の限界にぶつかってしまった。‪ユダヤとアラブから触発された中途半端な思考だったが、アジアの知を対象にしてより深まるかも‬しれないなどとおもって、『論語塾』で朱子を勉強させてもらっている

『江戸思想史講義』

‪江戸思想史は、わたしの中では、伊藤仁斎で始まり本居宣長でおわるというものであった。だがそれはいつの間にか勝手に思い描いてしまっていた風景に過ぎなかった。中国語訳の江戸の思想史の空間を参考にしながら、『江戸思想史講義』(1998)は目次をみると、「孝」の中江藤樹と「敬」の山崎闇斎が、「天命」の仁斎に先行している。荻生徂徠は三宅尚斎と「儒者」の中井履軒の中間にある。「物哀」の本居宣長の前に賀茂真淵が置かれている。こうした江戸の思想史の空間は何を意味するか?儒教の内部解体から国学が誕生するというような近代がいかに二項対立の物の見方に依存しているかを示す。しかしそんなに線形的に単純ではない。徂徠と仁斎に向けられた非難が、古い言説と新しい言説との間のズレから起きてくることがわかる。また近代から神話的に物語られる真淵と宣長との出会いがいかに複雑な距離を構成していたかがみえる。‬そしてどこからも仁斎論語というものがみえてくるのだ。子安宣邦氏が描いた江戸の思想史の地図は、近代の物の見方の中でそれとは異なる見方を与えてくれる、多孔性の空間であるとわたしはおもっている。