思想の地震

思想の地震

ポスト構造主義のラジカルリベラリズムと文化多元主義から、Badiouが再構成するようなプラトン的普遍主義の方向をもった政治的多元主義への移行が、 Occupy Wall Streetを契機に起きている。ポストモダン孔子のラジカルリベラリズムと文化多元主義もまた、アジアの市民運動の経験を契機に、朱子的普遍主義の政治的多元主義へ移行しているようにみえる。思想の地震とは、同時代的におきてくるかくのごとき、何でもかんでも、無矛盾性に巻かれても、何としても完全性に包摂されない過剰へと巻きかえして行く存在としての思想の状況としてとりあえず形容できようか。過剰とは、脱構築的な形而上学であれ脱コード化の存在哲学であれ、政治的多元主義の普遍主義という形の何らかの理論化が新しく再びもとめられている。共同体の帰属ではなく、共同体の他への依拠が問題となってきた以上、もはや国体論の構造主義の予定調和的均衡に戻ることはできないのではないか。‪(『文化と両義性』の構造主義が隠蔽していた反動的な天皇への共感と期待を繰り返すとしたらそれは時代遅れである)‬

『仙境異聞』とはなにか

80年代ポスモダン言説は閉じているとみなされ、前近代と非難された。70年代の批評精神ほどのものを失って文化多元主義の方向にそれほどすすむことがなかったと近代主義者からみえたかもしれないが、まだ思考は続いていた。たしかに近代というのは非常に強力ななにかであり、開かれているかもしれないが、もし開かれていることのその意味を問わず相対化しないならば、思考が足りないと言わざるを得ない。少なくともポスト構造主義は閉じていることの意味を考えたではないか。(近代主義は閉じている意味の分析をやめてしまって、前近代に対して、閉じているから閉じているとただ裁くだけとなったようにみえる。) さて鎖国体制のように閉じている時代に成り立つ、境界の向こう側にある特異点のような異空間でも、境界の彼方側にある情報を絶えず取りいれているのである。異空間にみえても、(例えば網野善彦の王権モデルが描くようには)神とか天皇との距離を諦めてしまい思考そのものが成り立たない外に向かって思考を放り出してしまうことが起きない。『仙境異聞』(岩波文庫 子安氏校註)はそういうことを教えてくれる。「寅吉200年」の言説とはそういう意味をもっている

「沖縄を見る目」

「沖縄を見る目、アムロが変えた」という今朝の新聞の大見出しをみて、軽い気持ちで、北アイルランドを見る目をU2が変えたいわれたことと比べてみようとした。しかし段々溜息がでてきてしまった。「沖縄」は吉本が語る「沖縄」であった。あるいは、柳田の「沖縄」、柳の「沖縄」、大島の「沖縄」、そして大江が語る「沖縄」。「沖縄」はだれかが語る「沖縄」にしか存在しない。言説「沖縄」はどういう意味をもっていたのか?日本人のアイデンティティを発見する場として投影されたとき、それで一体何かわかったことがあるのだろうか。厄介なことに、古代テクストの現在との存在論的な連続性に言及する連中が書いたのを読むとね、古代国家の多元性みたいなことを平気で読み解くのは、明治維新の作り物語と同じことをやっているのじゃないかしらと疑うのだけれど

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沖縄が何を考えているのかを話を注意深くきいて、沖縄から学びたいと思います。「十本指」のたとえで、「アイデンティティ」を言い、と同時に、この語とは反対の方向から、何処とも「繋がる」ことの大切さも訴えておられます。指が思想をもつとしたら、それはどういうことを言っている思想でしょうか。ここで沖縄問題を扱った講義を思い出しながら考えたことを言うと、敵味方を問わず魂を共に祈るというあり方と深く関係しようとしている思想の一つであり得るかもしれません。「29人の呼びかけ」と国連が指摘している困難に直面していますが、議会と人権と沖縄世論を尊重したうえで、理念的に何にも包摂されない海上のネットワークのような自立的に開かれたあり方を構築できるのは、ここからではないだろうかと考えています。(記録は『鎌倉ノート』より)

思考の千の高原

‪分割は不毛だと非難する考え方がいつも出てくるけれど、わたしは分からない。人間は分割に対する関心をもつから思考が成り立つとおもうから。問題は、せっかく思考がはじまるときに、「父の死」「神の死」を反芻する方向で分割を統合して、思考を外に放りだしてきたことにある(「日本を取り戻せ」もまたそういう同一化と思われる。) 思考とは、分割されたあり方を分割していく多様性ではないだろうか。思考の千の高原は、要請されている。右側に行って分割(別の右を差異化)し、と同時に、左側に行っては分割(別の左を差異化)していくような真ん中に位置をとる。または、時間的なものである。再び新しく明治維新に先行するものに行ってくるけれどそこで分割されたあり方を分割することによって、その150年後の閉じられた未来を開くことができないかとおもうのである。je reviens en arrière mais je vais de l’avant‬

本『映画史』

Godard’s seul le cinéma

本『映画史』は発想の大転換が必要。このイマージュの博物館は博物学的連続性の原則と方法をもつ。博物学の本は現実に存在しない動物の絵がそれ似た特徴をもつ生き物の絵の横に理解されないままに配置された。本『映画史』も同様に、映画史に現れることがなかった、諸々の断片で作った映像たちの配置が成立している‬。博物学の理解できない映像は空間の広がりに属した。『映画史』に現れる断片たちは時間の流れに属している。それらは歴史のなにかを語る痕跡であるけれど、歴史の部分ではない。本が文字通り作る映画、本『映画史』を開くときこのことをおもうのである。スクリーンの映画しかないという発想を転換しなければ

「事件学」「言説学」?

ポストモダン的再構成によって再発見されたオブジェob-jetのDadとsurréalismeは、数学のノマド的隠語の影響のもとに、大衆との関係を失って思考の形式として再出発するproーjecの映画と映画史の構想へと繋がって行くとおもうのだけれどね。面白いのは、映画史の理論化が注釈学的思想史によっていることで、思想史としての映画史は、まだ名づけられていないが、思想史でもなく映画史でもなく、新しい学問として意味づけることができよう。その学の方法とは、原初的イマージュとそれを注釈したイマージュとの間に共通のものがないとする。それだから根拠づけるよりも差異化していくことに意味がある。そうして差異は言説をもつことによって、(それぞれの言説が体系的に再構成されるとき)学が成り立つ。「事件学」「言説学」という言葉は検索してみるとまだみつからないようだけれど。

(下はBadiou の本の一文を撮った)