2022年『ユリシーズ』出版100年を前に

2022年『ユリシーズ』出版100年を前に、ジョイスとノラの遺骨をスイスからアイルランドに送還するという話があるそうです。ジョイスは自分で決めた亡命でもうそれっきりアイルランドに帰ってこなかったのです。『ユリシーズ』波乱万丈の人生の最後は、アイルランドに埋めてくれとおもったかもしれないですね。『ダブリナーズ』->『若い芸術家の肖像』->『ユリシーズ』->『フィネガンズウエイク』という順番で、いわゆる「アバンギャルド」化していくことになりました。モダニズムにおける実験精神の方向を行く『ユリシーズ』はリアリズム的言説にも神話的言説にも絡みとられない文学の再構成です。『フィネガンズウエイク』はなにかバベルの災厄からはじまった諸言語(ラング)にたいする壮大な普遍言語の再建を試みている感じです。この本はいかなる言説からも巨人の身体のもとに言葉を取り返しています。ところがこれとは逆の方向で、最後に書かれた『フィネガンズウエイク』を読んではじめて『ダブリナーズ』 が分かったと語る人がいました。言葉の故郷に帰ってきたというようなことなのかもしれません。ダブリンは『雨月物語』みたいな場所でしたから、亡霊Spiritとしての精神の帰還かもしれませんが(むしろヘーゲル的な意味でこれがこそが世界をつくったというか)。わたしのヴィットゲンシュタインも言葉の故郷に帰りました。


以下は、アイリッシュタイムズの記事(Sian Cain)より


Bid to repatriate James Joyce’s remains ahead of Ulysses centenary

Dublin city councillors are hoping to fulfil wishes of the writer and his wife, which were denied after his death in Switzerland in 1941


Sian Cain



A plan to repatriate the remains of James Joyce and his wife Nora Barnacle and finally observe their last wishes, has been proposed by Dublin city councillors more than 70 years after the author’s death.

Born in the Dublin suburb of Rathgar in 1882, Joyce spent decades living away from Ireland due to his growing animosity towards Irish society and his need to find work. He died in Zurich in January 1941 at the age of 58, after undergoing surgery on a perforated ulcer. He is buried in Fluntern cemetery in Zurich, alongside his wife Nora, who died 10 years later. In 1966, they were moved from an ordinary grave to a more prominent one, where their son Giorgio was later buried with them in 1976.

When Joyce died, Ireland’s secretary of external affairs sent the order: “Please wire details about Joyce’s death. If possible find out if he died a Catholic.” Barnacle later requested that his remains be repatriated but the minister for external affairs refused.



The new motion to repatriate the remains was brought forward on Monday by Dublin councillors Dermot Lacey and Paddy McCartan, who both argued that it was Joyce and Barnacle’s final wish. If it goes ahead, the plan would coincide with the centenary of Ulysses in 2022. The novel was once effectively banned in Ireland, as the Irish government used a customs loophole to prevent it from entering the country.



Speaking on Newstalk radio, McCartan said he had felt it was appropriate to revisit the idea ahead of the the Ulysses anniversary and said they would call on the council to appeal to the Department for Culture, Heritage and the Gaeltacht. He said the decision would ultimately fall with the Irish government and the Department of Foreign Affairs.

“There may be people who are not fans of this and want to let sleeping dogs lie. Joyce is a controversial figure, there are no doubts about that,” McCartan said. “Exile was a key element in his writing but for it to follow him into eternity? I don’t think that was part of the plan.”

There have been previous attempts to convince Irish authorities to repatriate Joyce’s remains, such as in 1948, after WB Yeats’s remains were successfully returned to Sligo from France, although more recently doubts have been raised that the bones sent were all Yeat’s.


2022年『ユリシーズ』出版100年を前に

2022年『ユリシーズ』出版100年を前に、ジョイスとノラの遺骨をスイスからアイルランドに送還するという話があるそうです。ジョイスは自分で決めた亡命でもうそれっきりアイルランドに帰ってこなかったのです。『ユリシーズ』波乱万丈の人生の最後は、アイルランドに埋めてくれとおもったかもしれないですね。『ダブリナーズ』->『若い芸術家の肖像』->『ユリシーズ』->『フィネガンズウエイク』という順番で、いわゆる「アバンギャルド」化していくことになりました。モダニズムにおける実験精神の方向を行く『ユリシーズ』はリアリズム的言説にも神話的言説にも絡みとられない文学の再構成です。『フィネガンズウエイク』はなにかバベルの災厄からはじまった諸言語(ラング)にたいする壮大な普遍言語の再建を試みている感じです。この本はいかなる言説からも巨人の身体のもとに言葉を取り返しています。ところがこれとは逆の方向で、最後に書かれた『フィネガンズウエイク』を読んではじめて『ダブリナーズ』 が分かったと語る人がいました。言葉の故郷に帰ってきたというようなことなのかもしれません。ダブリンは『雨月物語』みたいな場所でしたから、亡霊Spiritとしての精神の帰還かもしれませんが(むしろヘーゲル的な意味でこれがこそが世界をつくったというか)。わたしのヴィットゲンシュタインも言葉の故郷に帰りました。

西田幾多郎『哲学の根本問題』を読む


ポストモダンにおける差異の肯定も、モダンにおける差異の否定(つまり否定の差異)も、「哲学の根本問題」の思考において、分節化されることが無いのよね、このことが西田において理解されていないというか、もちろん理解しているのだろうが、読者に対してあえて全然問題にしない戦略をとるー わたしの理解の限界を超えるのでなければ。せっかく複雑で透明でない<他者>を、なぜ、単純で透明な<我と汝>にしてしまうのか?この「哲学の根本問題」を問題にすることこそが「哲学の根本問題」である。

‪ところで表現の自由をいうのなら、世の中にポストモダンの思想史を書くスペースがなくなったというこの問題を考えてみる必要があるかもしれない。そもそもポストモダンにおける「脱近代」の「脱」は破壊の「反」の意に理解されたところから間違えたんじゃないか。破壊の反近代と言っても、それが対抗する近代は永久革命をもっているから、おなじ否定の差異化と言わざるをえない。諸言語のナショナリズム、これは、16世紀の第一次的パロールの絶対性の喪失(近代におけるバベルの災厄)がもたらした混乱である。「脱近代」は、否定の差異化をおしすすめていく音声中心主義のラジカルモダニズム脱構築する。ヨーロッパでもアジアでも、どこでも、差異を肯定していくエクリチュール的運動の思想史的事件性が問われているのだけれど。しかし現在は、差異の肯定の脱近代は否定の差異の近代によって包摂されてしまったといようとする時代なのだろうか、すでに言われたことをはじめて語るように..


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MEMO

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‪廣松の『ドイツイデオロギー』の文献的解明がどうしてそれほど大事なことなのかよくわからない。イエニーのことも触れるが、まるでブルジョア作家が「忠実な」妻にタイピングさせたぐらいのことでしょうと言っているようなものだった。結局彼がやっていることは、テクストの不透明性を取り去る方向ではないのかともおもう。『資本論』にイエニーがどれくらい介入したかという問題は無視できない重要性がある。フェミニズムのロンドンはこれを問うことになった。その戯曲を書いたアイルランドでは、主人のデイスクールに従属したイエニーは、イギリスの知に従属してきたアイルランドの主体のあり方を考えさせるものである。マルクスエンゲルス、イエニーについてその錯綜した関係を小説にできないだろうかと、ロンドンのイスラエルユダヤ人に話すと、さっそく三者の星座の位置関係を調べあげて、色々話しはじめた。隣で、彼のカバラ的謎解きに胡散臭さを感じたナイジェリア人に、文章を書いていると、毎晩天井から足音が聞こえはじめた、イエニーではないかと告げると、震え上がった。だがユダヤ人をみると彼は幽霊に全く関心がない。専ら解釈するだけ。ナイジェリア人は商品の分析を受け入れることができない。彼らはユダヤ人商人によって奴隷として売られていたからだ。「交通」のコンセプトを作ったって?マルクスユダヤ人じゃないか、「交通」で交換された奴隷の歴史をどう考えていたのか。おまえたちは人間性を失っている。商品の分析をもって一体何がみえてくるというのか。と、激しい言い争いがはじまった。だけれどユダヤ人もナイジェリア人も、ヨーロッパ帝国主義の支配の歴史に対する批判を共有できるから、ヨーロッパにおけるユダヤ人排除の歴史から、アフリカから、イエニーの立場がどういうものであるかわかるので「マルクスの貢献者」などという形で彼女の名前を消し去ってはいけないと理解できるのだ。このことだけはたしかである。結局わたしのどのような言葉もただちに分裂し、『資本論』を書く戯曲の注釈は彼らの注釈によって二重化されていった。‬ここで、『言葉と物』のフーコの言葉をひきたい。



監督の1968年をどうみるかという視点がいかに、1840年代に反映されているのか?映画は、フェミニズムの演劇が先行しなければ、イェニーにマルクスが意見を求める場面をもたなかっただろう。経済革命なき政治革命には、政治革命なき経済革命にもまた、青年マルクスからみると思想革命が無い。マルクスは『貧困の哲学』のプルードンのために『哲学の貧困』を書き、イギリス労働組織委員メンバーにたいして蜂起の思想的根拠を問う。だけれど思想の内容がなにであれ、言論の弾圧を受けたマルクスエンゲルス、イェニー、プルードンを自由に喋らせた当時のパリは、多孔性ともいうべきその不透明なものとの出会いを可能にした空間をもっていた。政治的亡命者を受け入れていながら、集会で代表として承認された壇上のエンゲルスが彼が称えるそのマルクスの本を読み上げたり、エンゲルスがイェニーにマルクスが書いた文を正しく読ませるというロンドンとの違いは何だろうか?



知ることとは言語を言語に関係づけることである。語と物との画一的な平原を復活させることである。それはあらゆるものを語らせること、いいかえれば、あらゆる標識のうえに注釈という第二の言説を生じさせることにほかならない。知に固有なものは、見ることでも、証明することでもなく、解釈することなのだ。

あれから10年たった。たしかに、テンソルについて分析されるほどの‘トータルな認識‘の地平とされたけど、ヨーロッパの思想をよく知っていたけれど、支配されたアジアの思想家(竹内)が近代の超克をどう語っていたか知らないようでは、廣松はそれほどトータルではなかったのね。アジアの声なき声をきかなかったのだから、抑圧された他者であったイエニーは存在しなかったのだろう。



ポストモダンの時代に真実を考えることの意味は何か? 

形而上学は存在を存在として考えることの意味を問う。17世紀が読み解くアジアの形而上学の始まり(13世紀)に、すべてを語り尽くすと語る主体が登場する。それは、近代の真実を自己が話し自己が聞くという主体の体制の先駆を為すようにみえる。さてポストモダンの時代に真実を考えることの意味は何か? 近代の魂で考える<一>と異なって、ポストモダンの<多>は思考される身体を考える。近代は、語る主体は存在するから存在するとする。ポストモダンは、語る主体は言説の語る主体が存在するから存在すると考えてみようとする。他者が住処とする存在の多義性が語り出されて行くのは、二つの身体の間の投射からである。投射によって規則的なものー言説の配置ーが成り立つ。二つの身体の間を引く線、語る主体(自己同一性)の線、それから逸れる(差異化の)線、これらが言説の配置を形成していく



そもそもデモクラシーとは、民主主義的人間が固有の性格をもたないのと同様、政体ではないのだ

デリダ『散種』


大きな他者とはなにか?「わが国には有史以来3000年の歴史があります」「エジプトの方が少しだけ古い」「しかし唯一連綿と続く文明が中国です」はなにを意味しているのか?これは、近代以降等しく諸言語(ラング)の洪水を被っているにも関わらず、つまり音声化の方向にすすんでいるのに、まだ自己だけは、連綿と漢字エクリチュールの絶対的優位を保っていると誤解している帝国の思想だろう。アジアを支配した書かれた言葉の象徴性。厄介なことに、大きな他者はそれによってナショナリズムの混乱を免れているとおもいこむとしたらそれは新しいナショナリズムの発明かもしれない。この大きな他者があっという間に現れたことにたいして、周辺国はこれとどう折り合いをつけるのかが大変難しいと言われたが、同様に、大きな他者の内部の国々にとっても難しくなってきたようである


ポストモダンにおける差異の肯定も、モダンにおける差異の否定(つまり否定の差異)も、「哲学の根本問題」の思考において、分節化されることが無いのよね、このことが西田において理解されていないというか、もちろん理解しているのだろうが、読者に対してあえて全然問題にしない戦略をとるー わたしの理解の限界を超えるのでなければ。せっかく複雑で透明でない<他者>を、なぜ、単純で透明な<我と汝>にしてしまうのか?この「哲学の根本問題」を問題にすることこそが「哲学の根本問題」である。

‪ところで表現の自由をいうのなら、世の中にポストモダンの思想史を書くスペースがなくなったというこの問題を考えてみる必要があるかもしれない。そもそもポストモダンにおける「脱近代」の「脱」は破壊の「反」の意に理解されたところから間違えたんじゃないか。破壊の反近代と言っても、それが対抗する近代は永久革命をもっているから、おなじ否定の差異化と言わざるをえない。諸言語のナショナリズム、これは、16世紀の第一次的パロールの絶対性の喪失(近代におけるバベルの災厄)がもたらした混乱である。「脱近代」は、否定の差異化をおしすすめていく音声中心主義のラジカルモダニズム脱構築する。ヨーロッパでもアジアでも、どこでも、差異を肯定していくエクリチュール的運動の思想史的事件性が問われているのだけれど。しかし現在は、差異の肯定の脱近代は否定の差異の近代によって包摂されてしまったといおうとする時代なのだろうか、すでに言われたことをはじめて語るように..



ヴィットゲンシュタインはアイルランドに二年間ほどきている。なぜアイルランドに?長年研究者の間では、ほんとうのところ、ロンドンから離れて愛人と会いにいったというぐらいの関心しかなかったようである。アイルランドは研究するに値しないのだ。50年代は一番ヤバかった閉鎖的な時代といわれる。わたしの友人の画家は当時息苦しさのあまり街頭に踊り狂う人々をみている。この国でヴィットゲンシュタインは驚くたくさんの数の遺書を書いている。ダブリンでは一日中河を見ていたというメイドの証言がある。「ハムレットもノルウエーに帰る途中でアイルランドに寄ったためにああなっちゃったのかもしれない...ウィットゲンシュタインもなあ」とダブリンの詩人がわたしに語ってくれた。彼は言う。「西へ行け」と。ヴィットゲンシュタインが行った西の方は荒涼とした未開発の地域がある。ここに彼は小屋を建てた。現在ここらあたりに立つと、単純すぎて、視線は物の輪郭を捉えることなく彷徨う。なんか物語も意味も消滅するというか、だからかもしれないが、フレームも光量も定まらない。ジョン・フォードが撮影したようにはいかないのである。いったい眼のまえに何が存在する?と疑うまえに、見ることそれ自身を疑ってしまう。具合が悪くなる。見なければやっていけないとしたら、見ることは要請なのだ。だからキャメラは命題論理であり得る。


ウィットゲンシュタインについてはこの十年間覚え書きばかり書いていた。エクリチュール(の毒)によって、アイルランド人がウィットゲンシュタインをどうみていたかとする見方を考えた記憶を眠らせる必要があった。ウィットゲンシュタインは記憶のウィットゲンシュタインではなく、エクリチュールウィットゲンシュタインである。毒は薬なりという話もある?エクリチュールという記憶の外部は記憶にとって毒であるというようなことをデリダが言っている


エクリチュールは(内在的)記憶に対して外在的であるにもかかわらず、ヒュポムネーシス(覚え書き)は記憶ではないにもかかわらず、それでもエクリチュールは記憶に影響を及ぼし、記憶の内部において記憶を魅了し、記憶に催眠術をかける。これがかのパルマコンの効果である。(『散種』)


将来誰もが避難所から受け入れて貰えぬ立場になり得る暗黒の不確実性の時代だからこそ、誰も避難所から受け入れて貰える平等を保障した社会契約を再構成したほうがいいんじゃない?


何人も、自己のまわりに、明治維新の近代国家に先行した漢字と仮名をもつ権利を奪われない。そうでなければグローバル・デモクラシーの言語のあり方を考えることができなくなるから


有機的だから生命があるのか?否、非有機的であるからこそ強度をもった生命というものがある。このような平面をどう構成するかはどんな線を描くかによる。非表象から表象へいく線は外部をもたない。逆に、表象から非表象へいく線は外部が介入するときである。外部とは、なにか、目に見えない多分詩と舞台で成り立っているチェス盤のページなのではないかしら?見えない白紙の本


‪Le Maître dit: < Le sommet de la sagesse est d'éviter le siècle; puis, d'éviter certains pays; puis, d'éviter certains gestes; puis, d'éviter certains mots.>‬

‪Le Maître dit : < Sept hommes l'ont fait.>‬

‪( Confucius, Les Entretiens)‬



‪ 子曰、質勝文、則野。文勝質、則史。文質彬彬、然後君子。‬

‪「子曰く、質、文に勝てば則ち野なり。文、質に勝てば則ち史なり。文質彬彬(ひんぴん)として、然る後に君子なり」(『論語』)


フランス語訳を示すと、Le Maître dit; < Quand le naturel l'emporte sur la culture,  cela donne un sauvage; quand la culture l'importe sur le nature, cela donne un pédant.L'exact équilibre du naturel et de la culture produit l'honnête homme.>‬ ー Confucius, Les Entretiens ‬ ‪‬ ‪


吉川のように、文明(「文」)と素朴(「質」)の構造的対概念を以て、理想化された人間を表象するようではオリエンタリズムに陥る危険がある。シナ学の背景をもつフランス語訳に、la culture と le nature の二項対立をみることができる。

そこで、子安『思想史家が読む論語』は、質を「人間の具える天賦の自然性」として捉えた上で、人間にとって大事なもう一つの要素があるのではないかと問う。「それが文である」という。ここで、人と、人が学ぶ先人が遺す文章との関係が問われていると説明されるのである。私の理解が間違っていなければ、仁斎にとって最大の関心は「人」である。人が人として成り立つためんなは、絶えず天賦の自然性と原初的エクリチュールに立ちもどっていく必要がある。卑近に、自分のまわりに、漢字をおく必要があるだろう。だからこそ、何人も、自己のまわりに、明治維新の近代国家に先行した漢字と仮名をもつ権利を奪われないと私はおもう。そうでなければグローバル・デモクラシーの言語のあり方を考えることができなくなるから。

また、答えることのできぬ問いを開くために、「行いて余力あらば、則ち以て文を学ぶ」、「博く文を学ぶ」という(『思想史家が読む論語』)



ある年アメリカからはいってきた原理主義の影響で聖書入門がなんと英国のベストセラーになった。左翼は危険に考えた。だがこのときジジェクは聖書を読めとロンドンの聴衆にすすめた。敵をやっつける方法がちゃんと書いてある。ユダヤ人たちは徴にこだわったのだと。おなじように、『古事記』を読めばいいのかもしれない。「神」をカミと呼ぶかシンと呼ぶかはわからぬが、伊勢神宮憲法より上にあると主張する日本会議には、「統治権をお願いします、その前に、神の末裔である天皇から統治権を委ねられたとする証拠の三種の神器を見せてください」と言えばいいのである。なにか?



海外に行くとかならず三島についてきかれる。大江についても。戦後文学はなにかを観念化しているー指摘されるように、敗戦後の日本人がはじめて罪悪感を持ったことを観念化した?三島も何かを観念化したからこそ彼について聞かれるのである。村上を読むひとは彼についてきいてこない。多分彼はなにも観念化してはいないのだろう。海外で私も三島についてきかれたとき 最初に読んだ小説が『金閣寺』だったが、積極的に語る気がしなかった。三島を語るのは面白くないから、語る気がしない理由のほうを考えたほうがいい。だが中々わからない。今なら少し考えられるかな。三島は、失敗と考えられた(?)明治維新の近代を完成させるためにアメリカとの戦争に勝たなければならないと再び大衆に訴えることによって戦争を観念化する意味があるとかんがえたとしても、なんで不格好にあんな形でしか実現できなかったのかね?


French utopian socialism + English political economy + German idealist philosophy = 0

映画は亡霊をみせるのだろうか?マルクスも亡霊を断ち切りたかった。彼の心の中で妻は理解せずに亡霊が定位する文字を追ったか?亡霊と交信するのはエンゲルスである



Il est besoin d’une marque visible des analogies invisibles 

ー Foucault La pose du monde


目に見えぬ類比の目に見える標識が必要なのだ。

ーフーコ『言葉と物』世界という散文


五反田の喫茶店にて飾られている英語の本たちを棚からかってに取りだして読んでいる。1970年代に出た本があつまっている。と、25歳ぐらいのお姉さん二人が隣に座った。世の中に不満をたくさんもっている。台風の話の後、「日本なんかなくなればいい」と呟いた。日本の未来を憂いている。おじさんが物語る全知全能のシナリオ話と違って、感情を表出しているのがいい。そこでフクロウ猫は、「お嬢さん、暇というのは、どんなに暇でも、日本の未来を語るほど暇ではないのです」と加わろうとしたが、ネットの空間でもないのでやめたのであった...


‪昼の本と夜の本

昼の本は本それ自身ではない‬

‪両者の間に共通なものがない‬

‪そこから夜の本がはじまる‬

‪線が一本の糸の点の繋がりとなり‬

‪点は線となる。面は光の方向となり‬

‪言葉は見えず暗闇となる‬

‪沈黙が言説の煌めきを眠らせるとき‬


死に場所が奪われた。民族根絶の目的の為に先祖代々の墓を強制取り壊すことほど、文明論的同一化と開発と戦争をやめぬ近代の永久革命を表しているものはないのではないかとおもう。それにしても中国である香港が自己決定権を求めて中国共産党批判を行っているというのにだよ、中国でない日本においては中国共産党批判の拘束が中国よりも厳しいのは一体これはどんな国だろうか?


Il n'est pas lui-même au centre, occupé par la machine, mais sur le bord, sans identité fixe, toujours décentré , conclu des étas par lesquel il passe. Ainsi les boucles tracées par l'innommable, <tantôt brusques et brèves, comme valsées, tantôt d'une ampleur de parabole>... Bien plus, l'œuvre d'art est machine désirante elle-même.l'artiste amasse son trésor pour une proche explosion, et c'est pouquoi il trouve que les destructions, vraiment, ne viennent pas assez vite. 

ーDeleuze=Guatteri  Anti-Oedipus


ルソーの『孤独な散歩者の夢想』「第五の散歩」では、魂の秘密や物と身体との境界で生まれる印象に対して、ランガージュがおのずから透明となっている。-言葉と物-



注釈を超える注釈とはなにか?


先ず本居宣長が行ったのは神話の注釈である。神の道を解釈した。そこで宣長は体言と用言をめぐる中国語と日本語との言語的差異に注目している。つまり言語の注釈も行なっていたということができる。子安先生は、宣長は「神」を敢えて「シン」と読むことによって何をしたかったのかを問う。宣長は、朱子学(理気論と鬼神論)の言説から、言葉を奪回して、中国文明から自立するための思想を注釈のなかに書いている。つまりこれが注釈を超える注釈をなすものである。問題は、漢字なくして思想は可能だろうかというこの一点にある。あるいはロゴスは成り立つのか?もし可能でないとしたら、または成立しないとしたら、漢字は思想にとって不可避の他者と考えざるを得ないとおもわれるが、そうだろうか。こうした問題提起は子安先生が独自に打ちたてたものであるが、‪きちんとどうかんがえるのかが先月から始まった‪『国学における「神」の成立ー本居宣長の「神」の注釈‬』において明らかにされることになるだろう



映画のなかの黒板


スクリーンと黒板は互いに似ていたことに驚きます。世界という散文のなかで、目に見えぬ類比の目に見える標識が必要なのです。これほど類似しているのは、多分鏡が媒介しているのでしょう。とはいえ、わたしはまだ鏡というものを見たことがなく、毎朝鏡を見ずに髭を剃っているのですけれど。どちらが相手よりもより大きい鏡なのかはわかりませんが、類似している限りでの相似の形式であって、自己自身に含まれるという意味における同一の形式にあらず。発見されなければスクリーンと黒板との類似性は秘密のまま眠ったままです



「恩赦」の制度にも、祈る天皇に感謝せよとはね、ヤレヤレ、まるで共同幻想の島の「土人」に教えてくるみたいだ。これは国家祭祀の天皇を批判しなかった、実は構造主義でしかなかった吉本隆明に遡る言説なのか?『最後の親鸞』という立派な仕事もあったのだけれど、吉本信者だけで天皇教に感謝しなよ。


16世紀は類似というものが知の役割を演じていた時代であった。世の中はまだ類似物で構成されているに違いないが、それはマイナーな知である。たとえば生まれ変わりの伝説は類似の想像力だろうが、それは近代における知の中心をしめない。知の周縁を為すものでしかない。その周縁にある映画においては類似というものがまだ大切な役割をもっている。20世紀後半に現れた映画史においては映画それ自身が類似物である。現代は現実が映画に似てきたのでーかつては俳優が政治家を真似したが、現在は政治家が俳優を真似しているー、再び類似というものの意味がかんがえられることになってきた。さて彼らがまったく知らないパゾリーニの映画でもそのスチール写真を見せれば若い人は「ホラーですね」と言う。驚いた。わたしは「ホラー」の意味がわからないが、たぶん何かと似ていることは似ているが、パロールでは捉え切れない過剰があるということなのだろうか。標識は読まれるのを待つ記号である。見つけたら過去が目覚める。そして認識する作用によって、認識される過去が不動のままにあることはあり得ない。かつて映画とはそういうものだった。そこで表現されている世の中はおなじではありえないのであった。映画が消滅した日がきても、鏡が時間に定位しているのだから、徴は至る所に存在する。徴を見つけることができなければ、あるいは見つけたとしても解釈できなければ、類似によって成り立つ、世界という散文は化石として眠り続ける。


普通選挙と文化多元主義と権力分立の危機のなかであらわれてきた日本人という単一民族の幻想、ある国家でしかないのに日本国家しかないとする幻想(「ラグビーは日本を応援するのは当然でしょう?」という言説)。これらのことは、近代が自ら、国家の宗教性に折り重なることによって成り立ったというところに原因があるんじゃないかな。日本近代の場合、水戸学後期の政治神学の問題をかんがえる必要がある。形而上学に取り組む問題かもしれない。近代を問うたヘーゲルが言ったようには国家は宗教の超越性を禁じた(乗り越えた)のではなくて、国家がやったことは国家の宗教性をもって宗教に置き換えたというかね。国家の宗教は、マルクスが見抜いたように国家は他者排除によって成立した以上、永久革命的に、隣人を大切にする人類愛の信の構造を抑圧していく宗教性をもつ。 普通選挙と文化多元主義と権力分立の危機のなかであらわれてきた日本人という単一民族の幻想、ある国家でしかないのに日本国家しかないとする幻想(「ラグビーは日本を応援するのは当然でしょう?」という言説)。これらのことは、近代が自ら、国家の宗教性に折り重なることによって成り立ったというところに原因があるんじゃないかな。日本近代の場合、水戸学後期の政治神学の問題をかんがえる必要がある。形而上学的に取り組む問題かもしれない。近代を問うたヘーゲルが言ったようには国家は宗教の超越性を禁じたのではなくて、国家は国家の宗教性をもって世界宗教に置き換えた。国家の宗教は、マルクスが見抜いたように国家は他者排除によって成立した以上、永久革命的に、隣人を大切にする人類愛の信の構造を抑圧する宗教性をもつのである。  国家の宗教性は、それに抵抗するそれほど透明でない異質性の政治を透明なものに還元して否定し尽くす。そこに固有性の偶像を錯視する危険があるのではないか



グレコ。16世紀における芸術の外部へ出る力は、危機の17世紀に先行した‬のではなかったかをかんがえさせる...



13世紀から江戸時代まで、即位礼では、密教の考え方にもとづく「即位灌頂」が行われていた。天皇は高御座で、二条家から教えられた印相を結び、真言を唱えた。(島田)


ポスト構造主義と映画における思考の形式

‪ドイツ語のGeistを漢文エクリチュールの「精神」と読んでも意味がわかる。これは解釈の厚さによってではないだろうか。ヘーゲルの「精神」もマルクスの「労働」も解釈の厚さーものーから成立したと考えてみたらどういうことが言えるだろうか。構造主義の科学に還元する否定フェチシズムはカントからきているが、「精神」も「労働」もそれによって読もうとしたらなんのことかさっぱりわからなくなる。そこに厚さがないからである。ポスト構造主義構造主義を乗り越えようとしたときは、言語を徹底的に抽象化していく可能性をもつノマド的数学に依拠しても、再び厚さを復活させたのではなかった。ポストモダンは表面の思考にそって考える。厚さは近代であり、表層は脱近代と考える。表層における脱構築的思考によって、都市における建築の風景が変わった。また表層的平面にストレートに結びつくのが映画におけるいわばスクリーンの思考である。映画は言説から言葉をスクリーンのもとに奪回する。曖昧な本質をかんがえる。そういう映画は旅先で書く絵葉書でもいい。それならば「映画」とは何か?映画は「映画」と呼ばれるまえは何だったのか?ギリシャ悲劇がヒントになったゴダールの映画『カルメンという名の女』のなかに、「カルメン」という名の前は何なのという台詞がある。同じくらい重要な問題がある。それは「映画」と呼ばれるまえは一体何だったのか?それは見ることの自明性を疑う投射の原理である。映画の起源は何かという問いにたいしては、映画は存在することは疑わない。われ見る、われ存在する。ここに、情報とはいえないし物資ともいえないものー曖昧な本質ーが接続されてきたと再び構成してみるのである。諸映画の関係をバベルの塔の災厄以降の諸言語(ラング)の破片のように考えてみたうえで、唯一のかつ複数の映画を確立する「思考の形式」(ゴダール)を可能とさせてくれるものを、「映画史」は構想するといわれる。

だが問題は、救済できなかった他者殺戮のアウシュビッツ収容所を撮影しなかった「映画史」の決定的な失敗である。そんな他者なき一かつ多は包摂でしかない。置き換え不可能なものはないという「曖昧な本質」という美学的な多元主義の要請によって、アウシュビッツを編集された他の映像のもって置き換えることが倫理的に許されるものなのだろうか?

MEMO

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何十年前のことだが、大学時代に、元最高裁判事のOBに原稿の執筆をお願いした。このかれは判決のことか、何か新しい学説でも書いてくるのかとおもっていたら、旅行で見学した香港の裁判所について書いてきた。なぜ香港裁判所を知ることが大切なのかとさっぱり分からなかった。総会にきた本人にきくこともできなかった。しかし本質的に大切なことを書いたのだろうとわたしに言う英米法の教授がいた。その教授は長谷川如是閑の制度的思考を重んじる伝統を強調していた。現在あの原稿の大切さがやっとわかってきた。香港はイギリスの植民地だったとはいえ、ある自由があったのではないか。香港の若者は長年のうらみがあるという。選挙の自由を要求する街頭で、中国に裁判が存在しないとデモで必死に訴えていることは意味があるのだ


フクロウ猫かく語りき。ホホー、「バベルの塔」の崩壊によって物で書かれたものは消滅したあと、言語は石版に書かれるニャ。だがモーゼが十戒を記した石版を叩き壊したとき、ふたたび言語の破片は世界に散ったニャ。百科全書の時代は思考と言語に共通なものは、紙である。そこで百科全書は世界から独立しているところから世界を記すのではなく、それ自身が世界をもっていたというか、ホホー。アジアも「バベルの塔」もその崩壊も起きたニャ。宋の時代の朱子学における宇宙論的思想の言語が鎌倉時代にはいってくる。江戸時代に本居宣長において漢字の書記言語が民族語に写像される。しかしそれはうまくいかない。だけれど古代における話し言葉の世界に遡ることによって、ナショナリズムが誕生してくる。本当に民族同士がお互いに何を喋っているのかがわからなくなってくる。

中国はいわば大きな他者として漢字をもっていたのだけれど、漢字を音声化していることによって帝国である根拠を失ったいることに気がついていない。普遍主義は崩壊したままなのか。わからない。しかし中国は子安先生の『漢字論』を読むとき、朱子学脱構築して新しく普遍主義を再構成した『仁斎論語』を知るだろう。ホーホー



五反田の新しくできたチェーン店の喫茶店に、装飾として、数百冊の洋書の古本が飾られている。1970年代にでた本が多いようだ。ケニス・クラークの西洋美術史を概観した『文明』があるじゃないか。と、その隣に、『中国文明史』があった。ドイツ語の英訳らしい。’文明’という言葉に違和感をもつが、70年代はヨーロッパの’後進性‘が客観的に論じられている。その上で、あえて、ヨーロッパの文明を中国にうつしてみようというのであるとわたしは理解した。すると、宋の時代は中国のルネッサンスに対応することになる。方法としてこういう写像が成り立つのは、世界史的視点においてみえることを語る場合であろう。朱子をトマスアクイナスとくらべることができよう。さてヨーロッパー中国の間の写像だけによっては必ずしもうまくいかない観察も考えておかなければならない。おそらくそれは多様性の空間で問題となってくる観察だからである。東アジア漢字文化圏朱子学についていうと、朝鮮や日本やベトナムにおいて普遍主義を再構成した思考の自立的展開が存在した。わたしが知るのは江戸時代の言説空間だけれど、たとえば伊藤仁斎のような思想を、たんに起源にある中国の思想(朱子学)を間違って理解した仕方としてみなすことはできない。本物と偽物というふうにみてしまったら、<一>の「文明論」になってしまう。世界史構造としての「帝国に構造」が成り立つのはこういう虚である<一>の「文明論」による。それは実ではない。多様性の空間で問題となってくる観察も方法としてはじめて思考可能なものであると理解できるようになると、啓蒙主義の多元性という見方から、カントと伊藤仁斎の間に思想史のリゾーム的<線>を引くことだってできるのである


‪「彼ら」は、”金払ったんだから何かものを見せてもらおうか?”としかアートの展示にたいして考えることができないと三浦さんは仰るようにみえます。ところで三浦さんは「彼ら」に入っていない言い方ですが、「彼ら」の代表選手でしょう?三浦さんの言っていることは、文化についてならばあてはまるのかもしれません。文化はものを国民に呈示するのです。ものに教育もはいるでしょう。ただ教育の「教」の字は鞭があるので注意する必要があります。さてアートの場合は本来的には、表現する者は彼がイデア界でみた究極の完成されたものをおもいだすだけで、直観できても、ものそれ自身を示すことができません。わたしの理解では、ただその投射を構成的に呈示できるだけです。身体のとらわれた有限な世界においては、そこに何も存在しない可能性だってあります。ここでダブリンの映画館を思い出すのですが、上映中にフィルムが切れてしまって、何も上映されないままに1時間でも2時間でも放置されることが時々起きましたがー職員が来て「おまえなんでここにいるんだ、邪魔だぞ」と叱られることもありますーそんなときでもですね、何も写っていないスクリーンは不条理な思考を与えてくれます(笑)たとえ彼方から此方に写像できなくともですね、他者は卑近にー自分の周りにー置かなければならない不可避の存在です。そうでなければ言語は成立しない、というか、トータルに世界と関わる言語は存在することできないことでしょう。



‪Les langues sont avec le monde dans un rapport d’analogie plus que de signification, ou plutôt leur valeur de signe et leur fonction de redoublement se superposent : elles disent le ciel et la terre dont elles sont l’images: elles reproduisent dans leur architecture la plus matérielle La Croix dont elle annoncent l’avènement ー cet avènement qui à son tour  s’établit par l’Ecriture et la Parole.‬

‪Il y a une fonction symbolique dans le langage; mais depuis le désastre de Babel il ne faut plus la chercher ーà de rares exceptions prèsーdans les mots eux-mêmes, mais bien dans l’existence même du langage, dans son rapport total à la totalité du monde, dans l’entrecroisement de son espace avec les lieux et les figures du cosmos. ‬

‪De là forme du projet encyclopédique, tel qu’il apparit à la fin du 16ème siècle ou dans les primières annéses du siècle suivant ; non pas refléter ce qu’on sait dans l’élément neutre du langage ー l’usage de l’alphabet comme ordre encyclopédique arbitre, mais efficace, n’apparaître  que dans la seconde moitié du 17 ème siècleー、mais reconstituer par l’enchaînement des mots et par leur disposition dans l’espace l’ordre même du monde.‬

‪ーFoucault ‬


‪諸言語(ラング)は世界に対して、意味作用の関係にあるという以上に、類比するものとしての関係にある。というよwはむしろ、言語の記号としての価値と二重化する(=模写する)機能とが重なりあっていると言うべきかもしれない。言語(ラング)は空や大地を語ると同時に、それらの模造である。‬

‪諸言語(ラング)は、そのもっとも物質的な構成様式によって、みずからがその到来を予告している十字架ーこの到来こそまた聖書という<書物>と神の<言葉>によって確証されているのだがーを模写しているのだ。言語(ランガージュ)のうちにはひとつの象徴機能がある。けれども、バベルの塔の災厄以降、ー僅かな例外を除いてー、もはやそれを語そのもののうちに求めてはならぬ。それは、言語の実在そのもののうちに、言語と世界全体との全体的な関係のうちに、求めなければならない。‬

‪十六世紀末、あるいは十七世紀初頭に現れたような百科辞典的企ての形態は、まさにそこから由来する。‬

‪それは、人の知ることを言語という中性的な場に反映しようとするのではなくー百科事典における恣意的だが効果的な配列順序としてのアルファベットの使用は、十七世紀後半にならなければ見られないー空間における語の連鎖と配置によって、世界の秩序そのものを再構成しようとするのである。‬


ー フーコ『言葉と物』 物で書かれたもの


 Le nomade a un territoire, il suit des trajets coutumiers, il va d'un point à un autre, il n'ignore pas les points (point d'eau, d'habitation, d'assemblée, etc.). Mais la question, c'est ce qui est principe ou seulement conséquence dans la vie nomade. ー Gilles Deleuze et Félix Guattari


ジョイス文学は消滅したゲール語について考える。ゲール語は絶滅させられたのか?否、民の英語を使う生活上の要求の中で捨てられたのだ。ジョイス文学は、絶滅させられたと想定したうえで構築されるアイデンティティの国民文学とは全然違う。新しい文学はあらわれるときは、文学は死に切った過去を発明する所に「生まれ変わる」ようにみえる。しかし単純ではない。問題は、アジアの形而上学にとって死者はなくならないように、“自分で決めた亡命”を行ったジョイスが同時に亡命させた「アイルランド」の死んだ言語はなくならないからである。『フィネガンズウエイク』のどの文も異界をもっている(開かれた海に合流する「河」として表象される)。現存する50ヶ国語の言語を利用して作られる見えるものと、消滅した見えないないものとが互いに近くあることをジョイスの言語(「宇宙の劇場)」は思わせる、見えるものとみえないものとが互いに近くあることを思わせる、死者が卑近な生者に生まれ変わる世界の原神話。しかし世界の原神話はそれほど迷路ではないように思う。ジョイス文学が繰り返しとらわれているようにみえる、同じ世界に生者(目にみえるもの)と死者(目に見えないもの)が共存していると考えてみたら、言語的存在である人間の意味に関してどんなことが言えるだろうか。たとえば生者と死者が共存する世界で考えられてくる「連続性」は、外部の思考において成り立つものである。それは生者は自分たちしかいないと彼らの奢る世界で考えられているような「連続性」とは違うのだろうな。(実数と虚数で構成される空間での微分は実数空間の微分と随分と違うよねと書いては専門家に怒られるだろうけれど) 生者と死者の共存する世界は、何と無意味な生者の驕った世界の連続性に包摂されていることか。国家神道から、戦争で殺された300万人あるいは2000万人を切り離そうとしているではないか!


l’amour est le comble de l’esprit

et l’amour du prochain est un acte



だれが言っていた言葉だったか忘れてしまったが、愛は精神の高さである。愛は高さをもっているからといって愛は遠くにあるということではない。至上なものは卑近にあるからである。この関係は言語との関係においてこそ問題となる。言語とは共通の記憶を負おうとする象徴である。他者を常に自分のまわりに置く行いによってでなければ、どうしてこのトータルに世界とかかわる言語が成り立つというのだろうか?


結局吉本隆明天皇原発を批判できなかったじゃないですか。彼の思想と関係ないとして議論されないが、もし彼の思想の中心を為すものだとしたら一体それはなにでしょうか?


Finally, where abstract individuality appears in its highest freedom and independence, in its totality, there it follows that the being which is swerved away from, is all being; for this I s reason, the gods swerve away from the world, do not bother with it and live outside it. These  gods of Epicurus have often,  been ridiculed , these gods who , like human being, dwell in the intermundia( spaces between the worlds), have no body but a quasi-body, no blood but quasi- blood, and content to abide in blissful peace, lend no ear to any supplication, are unconcerned with us and the world, are honored because of their beauty, their majesty and their superior nature, and not for any gain.

- Marx


最後に小津安二郎の映画『東京物語』(1953)に触れて終章を閉じたい。小津映画の場面設定での堅固な硬直性と深い空間性はべラスケスに通じるものがあるのではないだろうか。たとえば、東京に出た老父婦が長男の家で一族と再会する一シーンでは、ローアングルで人間的に登場人物たちがとらえられ、床と柱、天井、障子などの縦横の線による幾何学的構成のなかに人物群は放射線状に配されており、上からは電灯の傘が吊るされている。これらは<ラス・メニーナス>の空間やその構成を彷彿とさせる。しかし、共通するのはそうした堅固な構築性に止まらない。小津映画のテーマの普遍性は、べラスケス絵画に、平凡な日常に潜む非凡なる尊厳に相通じるものがあるのではなかろうか。特別な悲劇やドラマがないまま、淡々と流れゆく日々の生活に秘められた人間(凡人)の厳粛さこそ、小津映画の、そしてべラスケス絵画の神髄である。

ー大高保二郎『べラスケスー宮廷のなかの革命者』

 le Destin ne peut vivre en honnête homme. Qui ne connaît les rites ne sait comment se tenir. Qui ne connaît les sens des mots ne peut connaître les hommes > (Analects)


 日本語千夜 小林


ニューヨークの美術館は本当に凄い。異論もない。だがあえて言うと、この美術館が依拠している、フランスのブルジョアが都市に創造した世界にたいして徹底的に否定してみせたボヘミアンの芸術家たちのアナーキーズを保っているかといえば、まだ何十の大富豪の寄付によって支えられている美術館は上流と中流に属するものである。比べると、ロンドンの現代美術館ははじめから労働者階級の博打金で支えられている。彼らはここに来ないが、来るときは、中流のような表象の芸術にたいする関心を乗り越えてやってくる。反表象のアートと出会う。パリの芸術家たちの反抗する精神もこういうものだったのじゃないかな。多分ドレフュス事件を契機に、ベルエポックと呼ばれた神話を拒否した


「国に帰れ」で罰金最大270万円。ニューヨーク市が新ガイドライン。そもそもニューヨークは国家(アメリカ)でないと指摘される。多分多分属しているが、部分にならないということか。これが証明しているのではないかしら。

ニューヨーク市では、雇用主や家主、ビジネスオーナーらがICE(移民税関捜査局)に通報すると脅かしたり、相手を侮辱的に「illegal alien」(不法入国者)と呼んだりすると、市の人権法違反として、最大で2万5,000ドル(約270万円)の罰金が科される。」



竹内の「近代の超克」が終わったとき、日本における構造主義の思想の受容がはじまる。反復は全くなかった。はたしてそうか?文革イスラム革命を契機に、思考実体(中国、イスラム)から思考形式(他者と外部の思考)へ行くのである



「構造はあらゆるものの支えとなり続ける。ただ一つだけ難しい点は、支えようとしている場所がすでに進行中であることだ。」(ケージ)

日本書紀』は中国知識人と韓国・朝鮮知識人と彼らに育てられた(遅れてきた)日本知識人が協力してできたものである。構造は彼らを支えた。問題は、漢字における三百年間のズレというか、音声の運動が生じていたことである。国家のアイデンティティの記録ーそれを国家のアイデンティティとして解釈する明治近代の語りも含めてーは、エクリチュールの統合できない差異の運動を隠蔽できない。


原発災害のときは自発性をもって街頭に出た市民と学生が一人一人が抗議を書いた。十万を超えるときに自民党にやっつけられてしまった。天皇が祈ってくれる?怒る人がいなくなった


深読みであると言われるだろうし、また論理飛躍の安易な適用と非難されても仕方ないのであるが、MEMOとして、鬼神論で読み解く『銀河鉄道の夜』を書き留めておこうと思う。『銀河鉄道の夜』の初版は1934年である。『銀河鉄道の夜』は、他者を殺戮していく「昭和10年代がはじまる夜」をどう見ていたのか。『銀河鉄道の夜』は近代批判の視点をもっているとおもう。『銀河鉄道の夜』に、沈没したタイタニック号の死んだ家族を描いた場面があるが、大変気になるこの場面をどう読み解くかについてわたしは何の考えもなかった。仮にこれを精神分析の近代をもって解釈しても、ジョバンニのオイデプス的夢と(過剰な理念を復活させようとする)父の欠如を読む近代が繰り返されるだけだろう。だけれどそうではなくて、子安先生の講義のテーマに深く関係すると思っているのだけれど、アジアの形而上学として共有された鬼神論から近代を批判する視点で読み解くことができるかもしれないと思い始めている。お母さんと子供が各々、魂(=気=神)と魄(精=鬼)に対応していると考えてみたらどんなことが言えるか?朱子の鬼神論の言説では、精神(= 魂+ 魄 )が活発に集まって物(と人)へと成るといわれる。ここでもっぱらジョバンニは亡霊を見ているだけだとする見方をとろうとしているのではない。ジョバンニはハムレットの場合と同様に、他者が自己を規定する生命と力の意味を再構成しているのではないだろうかと考え始めている。そうして他者の意味をすこしでも考えて、なんとか、他者を分散させてしまう自己同一性の<同一者>の見方にたいして距離をとるポスト構造主義的読みになる可能性のことをおもうのである。


もし「教育勅語」の’前近代’を批判しているつもりならば、「大学」という言葉をまだ使うことに違和感も疑問もない話は恥ずかしい



ヨーロッパで起きていることはアジアでも起きている。政治の思想は、経済の話に還元されてしまっていて、専らグローバル資本主義の成長を分析して、国のこともアジアのことも地球温暖化も問題にしないというような単純な話となってしまっている!?


朱子語類の鬼神論はおもしろかったなあ。アジアの形而上学を考えることになった。来月からは朱子の性理論をよみはじめるという。朱子から仁斎を考えることになるかもしれない。仁斎はなにを脱構築したか理解が深まるだろう。ほんとうに楽しみである。


ヨーロッパで起きていることはアジアでも起きている。政治を問う思想は、経済の話に還元されてしまっていて、そこで、専らグローバル資本主義の成長を分析して、国のこともアジアのことも地球温暖化も問題にしないというような単純な話ーハイパーナショナリズム如きものーになってしまっているけれど何も語っていない!?



子供のときは、‪母方の戦前大地主だった祖父と一緒に、テレビの国会中継ゴジラを見たものだ。「でかいネズミが暴れている、東京はどえらいことになっている」と言う。このパニックはどうも彼の農地改革の記憶の恐怖と結びついていた。恐怖というのは事実の裏づけがないようなそれなりに成り立っているロジックと両立するらしい


エクリチュールと絵画の魔法は、死者を生者のように見せかけて偽る白粉の魔法なのである」(デリダ『散種』)をさがそうとしたら見つからなかったが、スゴイ文をみつけた。訳す力がなくて申しわけないが、音声のなかで見えない漢字エクリチュールの存在を可視化しながら、大体この一文とおなじことを言っているとおもわれる。(デリダはどのページも同じことを書いている)。近代は、かつての生まれ変わり伝説にあるような感じで死者が生者の非常に近くに在るという見方を抑圧する。一元的同化主義と開発と戦争のときがそうである(靖国神社の近代が2000万人の命を奪ったことを忘れてはいけない)。わたしは平田篤胤の鬼神論について考えているが、ここでデリダマラルメとパウンドの詩について言及している。本来的にジョイスの文学FWのエッセンスもここに存すると思っている。もし異界のようなものがあるとしたら、どういうことが言えるか?魔法は異界に対して沢山の入り口を作ること。これによって抑圧を抑圧するというか。魔法という言葉に違和感があるならば、これを形而上学の思考としてよいのではないか。形而上学の思考は、言説「靖国神社としての日本人」などにからみとられて、靖国神社の近代がアジアの2000万人の命を奪った歴史を忘れてはいけない

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いずれにせよ、言語と物とが両者に共通とみなされた空間(「言語のうちにはひとつの象徴機能がある。けれどもバベルの災厄以降、もはやそれを語そのもののうちに求めてはならぬ」)で、この特権は(印刷術の出現、東方の写本のヨーロッパへの到来、音読や上演を目的とせず、それに規定されない文学の登場、伝統や教会の権威よりも宗教上の原典解釈が重視されたという事実ー、これらすべてはどれが原因でありどれが結果だとはいえぬにせよ、西欧において<書かれたもの>が占めるにいたった基本的な地位というものを証してくれる。これ以降言語は、書かれたものであることを第一義的性格とするようになる。声の音は、言語の一時的で心もとない翻訳にすぎない。神が世界のうちに残したのは書かれた言葉であり、アダムは最初の名を獣たちにあたえたとき、これらの可視的な無言の標識を読んだのに過ぎない。<律法>は人間の記憶ではなく、<石の板>にゆだねられた。真実の<言葉(パロール)>は、書物のなかにこそ求めなければならない。

フーコ『言葉と物』Les prose du monde