2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧
まだ考えがクリアーにまとまらないのでありますが、理念的な批判哲学 or 存在論 or 世俗化された形而上学の影かというふうにどれかただ一つに決めるというのではなく、ただ、批判哲学 and 存在論 and 形而上学 の間の無規定で自由な一致で構わないと思うので…
ヘイトスピーチを発見する時代 ヘイトスピーチを発見する時代 ▼ヘイトスピーチというのは、恐らくは防衛上の理由かなにかで(それまではそれほど区別なく殆ど一体であったかもしれない)中国と朝鮮から境界線(防衛線?)をひくことになった、そうして「日本…
アフリカ文学とアイルランド文学の<アンチ・オィデプス>的抵抗の意味を読み解く ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)の『闇の奥(Heart Of Darkness)』は、1979年に映画監督コッポラによって翻案され『地獄の黙示録』として映画化されました。この原作…
絶望的に退屈な「分かり易いドゥルーズ哲学」(國分功一郎) imaginationは「想像力」か?「構想力」か?1984年の中島盛夫はまだ「想像力」と訳していたが、2008年の國分功一郎の訳では構想力となった。中島は「しかし神学的形而上学の批判というこ…
ドゥルーズとはだれだったのか、何を言ったのか? 資本主義は絶えず囲いこむ。資本主義のその囲いから絶えず超えて出ていくのもまた資本主義である。このノマド的運動の意味を、「アンチオイデプス」「ミルプラトー」の著者たちは考えた。そのことを以ってこ…
このまえの日曜日のこと、自由ヶ丘の方に向かって散歩していたら、「自由のない国に反対!」と訴える声がきこえてきました。「権利のない社会に反対!」ならわかるが、そうではなく、「自由のない国に反対!」、と、ラップの語り口で繰り返し呼びかけるので…
新井白石は17歳の時に中江藤樹の「翁問答」を読んで以来、儒学に志してという。ヨーロッパの17世紀、18世紀、19世紀はそれぞれの違いがそれなりにきちんと区別がつくのに、江戸中期(18世紀)の儒学者といわれてもよくわからないというのはほんと…
モード家の一夜 Ma nuit chez Maud (1969年) マルクス主義者とカトリック信者の間の会話ならば、かつて権威があったという朱子学的マルクス主義者の言葉のように、さぞ堅苦しくなっただろうが、エリック・ロメールÉric Rohmerは、その間に、フリーメーソン…
満月の夜 Les Nuits de la pleine lune(1984年)をたたえる 冒頭に、「魂は二人の女性のために失われる、心は二つの家があるとき失われる」"Qui a deux femmes perd son âme, qui a deux maisons perd sa raison" ("He who has two women loses his soul. H…
「現国」はなんといっても思春期のときに読みますからね。高校教科書のなかで「現代国語」だけは別格な存在。「現国」の中の文章から、精神的に影響を受けたという話はよくききます。そういう意味で、だれが書いたか、どういう内容であったかは忘れましたが…
「モハメド・アリ」とはだれだったのか? 公務員宿舎時代のこと、歴史的試合だから見ておけと父は学校の方に「息子が風邪をひいた」という内容の欠席の電話連絡をしたと記憶しています。そうして学校をさぼった私は、この役所をさぼった父と一緒にテレビの中…
ボッシュ「阿呆船」に描かれた人々がどこへ行ったかということがどうしても気になって仕方がない。この人たちはどこへ消えて再びどこに現れたのか?「阿呆船」はヨーロッパ人に大きなインスピレーションを与えるのは、それが亡命とか、あるいは内部亡命的に…
六四、一つの墳墓 劉暁波 権力の標章を護衛する兵馬俑が 世界を驚嘆させる 宮殿より荘厳な十三陵が... また西洋人を驚愕させる 毛沢東の記念堂が 奴隷の心臓の中心に築かれている 我らの悠久の歴史が 帝王の墳墓により光り輝く だが「六四」は 墓碑のない墳…
1、「パレスチナ政治映画の時代」を終えて、八十年代のゴダールは、「天と地の間」、「記憶の時代」という探求の時代を生きることになります。「映画」という「道」の「制作者」を、「作家」として、まるで「先王の教えは礼なるのみ」(「弁名」)という調子で…
荻生徂徠と社会哲学 A 荻生徂徠と社会哲学われわれの言語が言語化できないような、人物の性と日常事物の規範の間の一致、その無分節の世界について「中庸」は物語っていますが、まさにこの一文がそういうものですね。それは朱子学の難問を構成しますが、こう…
問題提起; 「独立論」はほんとうにそれほど独立について語っているのだろうか? 中国に軍事的に対抗したアメリカのためにある沖縄の犠牲のことを考えると、「独立すべし」という声も起きてくるでしょう。こういうテーマは常に上から目線で語られることになり…
フーコは権 力は 国家 装 置 などのなかだけに局 在するのではなく、あらゆる関係 の中に遍 在していると指摘した。「実際、社会は処罰システムによって合法性と違法性のゲームを組織し、整備し、政治的経済的に有益なものにしようとしているのであって、社…