2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧
徂徠が聖人とは制作者だと書くとき彼は日本の名宛で書いたのではないように、徂徠の"一番弟子"の宣長の「物のあはれ」「物のあはれをしる心」は普遍的な心のあり方を指示していた
楽器の音によって動く心のあり方というか、ヴェルディのオペラは楽器の音と声を切り離してはいない。ワグナーのようには音を声の大地に無理に統合していないとミルプラトは指摘した
「弁名」ノート No.4 (私の文学的フットノート) 名と物との食い違いが生じたら、消えた物はどこへ行ってしまったかは前漢のときまでは追跡できたが、それも後漢までである。食い違いを識別することもできないほどになったという。孔子とその弟子たちの関…
近代の知と古典主義の知は切り離してはいけないし無理に統合もできない。これがフーコの言説的な戦略であった。近代主義がやるように、先行する知を全部を否定し尽くすとそのときは近代の知もゼロになっているのである(権力の側に都合よく不可視になってい…
英国議会下院はEU離脱通知手続きを首相に委ねた。EU居住者達の中に、55年間住んでいたが未来がみえなくなったと嘆く詩人もいる。あれほど文化に貢献した者に何という仕打ちだ
17世紀の伊藤仁斎は、20世紀のアレントの問題意識と共有しているとおもう。「人の外に道無く、道の外に人無し」(「人外無道、道外無人」)といわれる。ここでは朱子との思想闘争が展開される。仁斎は自らに問い続けた。ほかならない、「人」からはじめた画期…
寸劇 ヤマタノオロチ「9条上問題になるから『武力衝突』使う。なにか?」 スサノオ「戦闘がないと言っていたじゃないですか」 ヤマタノオロチ「わたしが戦闘だ、食ってやる」
「論語」は所謂近代の定義集ではない。孔子はどの弟子に何々を言ったといったことが書かれているだけで、例えば「仁」が何々でありしたがってどういう行為なのかという形で抽象的に記されてはいないのである。この一文では、孔子の死後、孔子と弟子たちの間…
法務大臣が日本独特の共謀罪を理解できないのは馬鹿だからではなく、フツーに法の常識があるからなのだ。草野豹一郎が共謀罪の父で、タカ派的なその名前からしてヤバイのである
1970年代のこのデリダの文をよむと、その後に展開することになる50年間を見通していたような、方向性というか、理念としての「散種」を言い表していたのではなかったかと思ってしまう。「散種は、父親に帰属しないものを表わすのです。」つまり、ヨーロッパ…
「弁名」ノート No.2 (私の文学的フットノート) 映画のなかの会話のような思考実験。たとえば、鬼神が、「鬼神」という名の前に私(鬼神)は何であったかを問うとしたら、問われたこの私は何と答えたらいいのか?これは思考する必要がある問いかけである、…
フーコのルソー 古典主義時代にて同じものをさらに新たな比喩形象によって名指すという任務を帯びていた文学は、やがてそれまで決して名指されたことのないもの、或いははるかな語の襞の中に眠っていたものを、ついに正当な語によって名指すという任務を帯び…
寸劇 ヤマタノオロチ「マハリクマハリタヤンバラヤンヤンヤン!ようこそ、全体主義カフェへ。ご主人さま、共謀罪ランチになさいますか?」 スサノオ「あっちへ行ってくれ」 ヤマタノオロチ「都民ファーストだ、食ってやる」
勝手に薩長が東京に連れてきた天皇に集中する権力の問題。西欧列強の植民地化の危機が消えた大正に解体されずにそのまま満州事変から大東共栄圏へ膨張し昭和ファショの中心へ行く
「個人の意思を与える退位は天皇制を終わらせてしまう」と日本会議の論者は繰り返す。反射的に賛成か反対かと反応するだけで、言論の幅が極端に狭くなってきたという意味において、現在は、第三項的に、天皇退位について語ることが非常に危険になってきたと…
「弁名」ノート No.1 わたしは、鍵のかかっている誰ひとりも入って来れない部屋のなかで、道、天、鬼神、天、仁義、義、徳、誠をみていると言うことが果たして可能だろうか?これら一切合切が部屋の外に脱出してしまったかもしれないのに。そこに、名があ…
「弁名」ノート No.1 わたしは、鍵のかかっている誰ひとりも入って来れない部屋のなかで、道、天、鬼神、天、仁義、義、徳、誠をみていると言うことが果たして可能だろうか?これら一切合切が部屋の外に脱出してしまったかもしれないのに。そこに、名があ…
デュラス「インディアン・ソング」(1973)を読む アーレントは「人間の条件」(1958)を書くためには、どうしても「全体主義の起源」を書く必要があったのでしょうね。そこで、Solitude(対話する自己自身をもつ)とLoneliness(大勢の他人の中で孤立していて自己…
映画「インデイアソング」では、鏡を立てた壁に発砲した男性が私の世界へと追いやられ、他方で眠る女性が公の世界にとどまる。デユラスの流れ行くエクリチュールにおいて、私の世界と公の世界は切り離してはいけないし無理に統合もできないのだろう...そして…
夏目漱石が私の世界を漢詩的に書く千年前、源氏物語の時代に、公の世界で漢文漢字で書く男性と対等の知識を持っていた宮廷女性達は私の世界というインフォーマルな場で仮名で書いた
トランプ「ヒトラーはアウトバーンを作ったが、70万人も雇用する神風がどこから来るのかね?」 安倍首相「私の民の年金でメキシコ国境の壁に投資してください」
もう一つの近代 津田の思想はを仄めかす。現在の政治の行き詰まりを目撃するとき、津田の思想に惹かれる。天皇国体論的な戦前教科書は国民概念を古代に投げ出していたとき、津田左右吉は国民の名において「あそこには国民が無い」というふうに「古事記」を批…
もう一つの近代 天皇国体論的な戦前教科書は国民概念を古代に投げ出していた。津田左右吉は国民の名において「あそこには国民が無い」というふうに「古事記」を批判できた。だが「源氏物語」に向かって同じ様に国民の不在を指摘できるだろうかと昨日の講座「…
読めない破片と読める破片は切り離してはいけないし無理に統合もできない。自ら折り重なる言語の端で、偶然と共に、破片たちは傍らに存在する裏側の余白との無関係を生み出して行く アルトーは意味を伝えようとはしなかった。それに対して、ジョイスは意味を…
BBCからみると、中国に敗北した日本はまだ中国と闘い続けているようにみえるのは本当に奇妙であるという。日本の支配層は永久にアメリカに負け続けているのは、相補的か?負け続けることで、負けたことをみとめなくてもいいという構造を離すまいといくらこれ…
BBCからみると、中国に敗北した日本は中国と闘い続けているのは本当に奇妙である。日本の支配層は永久にアメリカに負け続けているのは、相補的か?負け続けることで、負けたことをみとめなくてもいいという構造を離すまいといくらこれ以上米国にしがみついて…
「超越、これはヨーロッパ固有の病だ」。そういわれてみればそうだったんだろうか。「夢 dream」ほどアメリカ人が頻繁に口にする言葉もなく、そうだとすれば、アメリカ固有の病はここに?吉田松陰 の「至誠」は心を出し尽くせば自ずと人を動かせるという意で…
予言者だけが、声をあげて変化がなければ声をあげなかった原初と変わらぬ未来を告げる。神話と演劇の代わりに、古代ギリシャ哲学は語ることの活動を示したといわれる。それは何故だったのか?無理に統合できないような、多様性が言語に定位すると考えはじめ…
思想史的にいえば、ファシズムは曖昧な観念とはいえ、全体主義国家との同一視は簡単過ぎるだろう。帝国主義時代に脱近代の運動が全体主義国家をもち、戦争の他に目的なき自殺国家の反近代が現れた。さてグローバル資本主義の時代に脱近代運動が全体主義国家…
人々が集まるのは、単純に、法が力によってしか保たれない事実を、言論の不在を公に示したいからです。二度目の間違いが起きたら、敗北の事実は事実でしょうけれど、だからといって、行いに意味がなかったということではないでしょう。沈黙を過大評価できま…