2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

光源から壁スクリーンに至る光の矢というかね、投射の形式を全体概念に適用した形而上学に対しては、思想闘争を通じて、明鏡止水的に「至る」ことの無理がいわれ「学」が要請された

荻生徂徠

演劇的に想像しましよう。伊藤仁斎を描いた舞台に凹凸の起伏が欠かせません。舞台上に照らされる事物もあれば、照らされていない事物もあるのです。闇は「理」に介入する経験知をあらわすことになります。それに対して、荻生徂徠を描く舞台は、滑らかさが対…

‪‪‪「弁名」ノート‬ No. 7 ( 私の文学的フットノート)

‪‪‪「弁名」ノート‬ No. 7 ( 私の文学的フットノート) ‪「〜に先行する」(時間の順序関係を示す)を、「〜外部にある」(事物が関係する空間の位置関係を示す)という風に方法的に外部の思考へ行ったのが徂徠だったと私は考える。このとき、起源に遡る必要はな…

シネマトグラフィー

シネマトグラフィーは、この世界が壁にかかっている布の白い四角に至ることを隠す。映画は自らの壁への依存を自立に変容させる。これに対して小説はゼロからの出発で独立している

フーコからの引用

‪自己自身の書法は、隠遁ということと補完的な関係にある。それは孤独につきまとう様々な危険を緩和する。それは行為したことや考えたことを、仮想の目の前に晒すことを意味する。書くことを義務とするという事実は、人間としての尊厳と羞恥心を呼び覚ますこ…

寸劇

寸劇 スサノオ「トランプ米大統領にさまざまな不安を持っている国々に、大統領がどう考えているかを伝えたい」 ヤマタノオロチ「最初に行く国は?」 スサノオ「アメリカですけど、なにか」

‪‪‪「弁名」ノート‬ No. 6 (私の文学的フットノート)

‪‪‪「弁名」ノート‬ No. 6 (私の文学的フットノート) ‪未来を思いだすということは、書記言語的に書かれている過去を参照することによって現在のあり方〜未来の生き方にかかわるーに距離をおく批判的方法に存する。それが批判精神であるとすれば、現在の枠組…

上野千鶴子氏の言説

‪新自由主義・新保守主義のネオリベ理論もまた、皆んなが貧しくなれば豊かになるという市場の働きを予言してきました。これと全く反対の方向から、相対的剰余価値理論は、平等に貧しくなっているようにみえても(過去と比べて相対的に)平等に豊かになっている…

寸劇

ヤマタノオロチ「言葉を崩壊させたと非難されても、私はこんなに大きいのだ」 スサノオ「人間的愛が崩壊し尽くす前に、貪ったものを、あなたを支持している民に返してください!」 ヤマタノオロチ「いま返してやるぞ、ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロ...」

「弁名」ノート‬ No.5 (私の文学的フットノート)

‪‪‪「弁名」ノート‬ No.5 (私の文学的フットノート) ‪「日本」という単一の「傘」に多数の穴をあけること、「ひとつの日本」「ひとつの日本語」をできるだけ相対化していくこと、生きるために。1968年は重要な契機だった。だが、現在、現実にこれほど隙間な…

アメリカ

何が先で何が後か。トランプが習近平に電話したのが先で、安倍晋三を抱擁したのは後。TPPを棄てた米国はアジアでの影響力を少しでも失わないように握手とゴルフの恩寵を与えた

平家物語からかんがえること

‪「平家物語」といえば、盲人と語りのテクスト。解説によると、晴眼者が盲人を真似て語ることがあったらしい。聴き手に向かって開かれる語りに着眼する論者は、語り系のテクストの存在すること自体に疑問をもつという。本を閉じるとき、ここに展開されている…

源氏物語

‪紫式部は「日本書紀」を読んでいたといわれる。このことの意味を考える。「公の世界」にいる貴族男性と対等の漢字書記能力と知識をもっていたが、「私の世界」を表現する為に仮名で書くのである。(奇妙にも近代がこだわりを示す"女性的な文体"とか"男性的な…

寸劇

寸劇 スサノオ(新聞をのみ込む)「私は朝日に勝った」 ヤマタノオロチ(新聞をのみ込む)「俺もNYタイムスに勝った」 ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロ...

上野千鶴子氏にたいする反論

上野千鶴子氏は、『日本人は『古事記」を読み継いできた』の確信犯的嘘を否定しない。残念ながら、ここから、移民を文化の問題として理解させて国を閉じるようとする語りが生じてくるのは必然と言わざるを得ない。そして、「貧しく平等になろう」が、暴力革…

物への問い <名>で鍵かけた誰一人入れない <私の世界> この内部では、 <名>を投射してくる 光源である物を 見ることができない 詩が客観精神に先行している 物で書かれた名の遠くから

物への問い で鍵をかけた誰も入れない この内部では、 を投射してくる 光源である物を 見ることができない 詩が客観精神に先行している 無限遠点の場所から

映画

ハリウッド映画と対等であるニューヨークの知性を構成するウデイ・アレン。スコセッシは映画を研究した映画を作る。ジョイスのように文学を研究した文学みたいにね。新作は来週行く

近代天皇制のブループリント

近代天皇制のブループリントをつくったのは荻生徂徠と本居宣長である。丸山真男が徂徠に福沢を重ねて民主主義的言説を読み出したのは単なる間違いだが、徂徠を普遍主義の思想家として扱ったことは当然であった。合理主義的思考は近代だけに属するのではない…

寸劇

寸劇 ヤマタノオロチ「トランプと18秒も握手したぞ、日本すごい!」 スサノオ「握手なのにびくびくしていましたが」 ヤマタノオロチ「反日テロリストめ、食ってやる」

議会の中継

原稿を準備してくることはかまわないのだけれど、英国議会の中継に慣れてしまったせいか、質問する議員に首相が当たり前のようにその原稿を読みきかせるという姿に違和感をおぼえる。頭を上げて喋るときは、なーんか、最近の英米の芸能人が一般人を罵倒して…

世の中で一番怖いこと

世の中で一番怖いこと、映画を観ているときその映画を面白いと感じてしまうときほど怖いことはない。皆が面白いと感想を述べるスコセッシの新作映画を今日観に行くのが本当に憂鬱だ

世の中で一番怖いこと

世の中で一番怖いこと、映画を観ているときその映画を面白いと感じてしまうときほど怖いことはない。皆が面白いと感想を述べるスコセッシの新作映画を今日観に行くのが本当に憂鬱だ

世の中で一番怖いこと

世の中で一番怖いこと、映画を観ているときその映画を面白いと感じてしまうときほど怖いことはない。皆が面白いと感想を述べるスコセッシの新作映画を今日観に行くのが本当に憂鬱だ

オペラ

異郷の地で孤独を感じた母親の影響か、十代になると泣く女性の抑圧を感じて魂が動かされた。幻聴に苦しんだがオペラを聴くと鎮まった。芸術は泣く魂を表現できる距離をもつからか

徂徠

なぜ、‪「徂徠学講義『弁名』を読む」(子安宣邦氏)を読むのか? 考えてみたいとおもっていることは、徂徠の『弁名』が、仁斎が読んだ「論語」に対して、徂徠のもう一つの「論語」、もう一つの「論語」史、として読めるのかどうかである。徂徠の探求しようと…

寸劇

寸劇 ヤマタノオロチ「わたしは平成の治安維持法じゃないと言ってるでしょう?」 スサノオ「ならば、共謀罪で誰かれかまわず捕まえようとはおもわないでね」 ヤマタノオロチ「わたしは凶暴罪だ、今からお前を食ってやる」

宣長

‪子安宣邦「宣長学講義」(岩波書店 2006)<真淵の教えー漢意批判より引用>‬ ‪小学国語読本における「松坂の一夜」が、その歴史的な一夜においてあたかも真淵が遺言を授けるように宣長に語ったとされる言葉「あがたゐのうしの御さとし言」とは次のようである。…

宣長

宣長の「方法としての」解読の普遍主義と、思想の自立を獲得する思想闘争を通じてそれが進行した全体をみるべき。両者を切り離すから、固有の構造をいう自文化意識の烙印が近代に成立する

徂徠

‪子安氏によると、「これを読むと、『‬物のあはれをしる心』を『事にふれてうごく心』だとする本居宣長の説は「楽記」の翻訳ではないかと思われてくる。宣長はそこで、「感字は字書にも動也と註し、感傷感慨などともいひて、すべて何事にても、事にふれて心…