2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「『昭和』とは何であったかー反哲学的読書論」(子安宣邦氏、藤原書店 2008)

‪透明な深みと不透明な厚さ。透明な深みとは、真実のコピーとして表象される偽物があり、オリジナルとして表象される本物があるという分割と排除である。不透明な厚さー物として世界にあることの徴ーとは出会いである。問いかけが不可能に絡みとられていると…

中国とともに考える

中国とともに考える発言「特権階級排除のために権力の集中」は、発言「皇帝」と同様に、反民主主義に突き進むようにみえる体制のそえものになってしまっていませんか。主体として考えること、反証の精神を嘲笑った、知の無惨ともいうべき、ヘイトスピーチを…

痕跡を読む

‪痕跡を読むデリダ『火ここになき灰』Feu la cendre は、遅すぎたのだけど、何とか英訳を注釈として利用して、二十代後半のとき初めて原文で読んだ現代フランス哲学の本だった。大まかだが、たしかこういうことをいっていた。làは書かれた言葉にすんでいると…

『「近代の超克」とは何か 』(子安宣邦氏、青土社 2008)

『「近代の超克」とは何か 』の目次(子安宣邦氏、青土社 2008)‪昨夜数えてみたら、本箱に子安宣邦氏の本が25冊あった。そのうち中国語訳される7冊を以て全集を為す。近代日本という物の見方とは異なる見方として、大まかにいうと、子安氏の本のその半分…

漢字で読む言説<アジアのコスモロジー>

アジア思想を代表した12世紀の朱子の自然哲学的なコスモロジーを現代中国語で読むよりは、17世紀の京都の儒者たちが倫理思想を確立するために自然哲学を批判的に読んだやり方で読んだほうは12世紀に近い感じで読めるのではないか、想定されたそういう方向で…

ジョイス

‪『テーレマコス』を、現代世界はなお'武闘派'的に、古代の「敵」に奪われた土地を取り返せとする無意識を読みとるだろう。植民都市の経験を書いたジョイスの挿話「テーレマコス」もそういう方向を隠しもっていることは確かだ。そこからそれを否定する人類の…

表象

‪王政復古150年、明治維新150年だって?昔帝国栄光の記念館に入ったときブラックホールに押し潰されちゃう気持ちになった。国民に強いる犠牲を讃えた巨大紙芝居の絵の下で毎晩惨たらしい殺人事件が起きるのだろう。必然として国家は戦争を対象にもつ。表象は…

近代文学

‪1930年代における詩と世界の関係を問うならば、問われるその哲学は世界史の哲学だろう。世界史の哲学は京都学派において言われたように一元的な「ヨーロッパ世界史」の支配に対抗する多元的世界の立場に立脚すると言った。しかし実は日本国家の内部からその…

フーコ

‪だれが『言葉と物』を翻訳できたのか?何も為すことができず、あっという間に、「帰国」後10年が過ぎようとしている。おもいかえすと、二年間は「共通のもの」がなく「共感」できるものなど何もなかったような状態で、例外的に話すことができた相手といえば…

フーコはいかに「言説」(ディスクール。 discours)はの語を使用しているか?

‪言説(ディスクール)discours文あるいは言表の連鎖としてまとまった内容をもつ言語表現の意味であるが、ギリシャ語の「ロゴス」logosに由来する語であり、直接的、直観的な表現ではなしに、概念作用と論理的判断をへた秩序のある表現というニュアンスNo.1 フ…

オリエンタリズムとはなにか

オリエンタリズムとはなにかメディア研究の先生が指摘していたが、アイルランド人は自分たちがヨーロッパに属していたことを初めて知らされたのは1970年代EU加盟のときからだったという。リーマンショックまで、「ケルトの虎」と呼ばれた経済発展が起きるの…

フーコ

A just image or just an image? 評判が悪いのですが、正しいイメージはない、ただイメージがあるとゴダールはいいます。しかしそう言ったからといって自動的に意味がはっきりするわけではありません。だからはっきりさせるためにイメージを見るしかないとい…

『フィネガンズ・ウェイク』

Shem was a sham シェムはシャム(いかさま)『フィネガンズ・ウェイク』は、意外なことに、始まりがある。前作の『ユリシーズ』挿話「イタケ」と、冒頭における始原へ帰る始まり(river run, past Eve and Adam,s...川は流れる、「イヴとアダム教会」を過ぎ...…

ゴダール『映画史』

ゴダールの盲目的に語られている発言集と映画史は誰が読むのかと呆然としてしまう。だけれど、自然哲学的に?多様なものを保つとして、映像と音に行ったことは、言葉を集中させる方法によってだ。モンタージュの原初性はここに。宗教と道徳を宗教だけにして…

フーコ『言葉と物』

フーコ『言葉と物』は"17世紀からヨーロッパはどう読まれたか"を問うた。アジアは<言説>ヨーロッパと同様に実体に非ず、絶えず新しくそれを語る者の言葉を住処とする。アジアとは、後期近代にそれを漢字のポスト構造主義と社会的公正論を以て語る人々の言葉…