本居宣長

本居宣長の墓が二つあるのはどうしてなのか?

typhoon... 山奥の温泉地に来たら、なんとなく三月に訪ねた伊勢のことを思い出してきた。と、おのずと、本居宣長の墓が二つある理由を考え始めている...。宣長について書いて小林秀雄は墓から問いはじめて、最終的には決定的な答えを出さなかったと記憶して…

本居宣長「排蘆小舟」「石上私淑言」を読む — 顕然たる起源とはいえない、隠された出発点、何かがそこに始まりながら、しかし同時にそこにあるものを置き忘れもした起点

「宣長における宝暦十三年という年が象徴している事態は、研究者にほんとうの宣長とは誰かを問うものとしてあるわけではないし、また宣長とい統一的思想像をいかに構成するかを問うものとしてあるのではない。あの事態は、宣長における「物のあはれ」的歌学…

「伊勢神宮の意味を問うツアー」では、初日に本居宣長のどちらの墓が本音なのかわからない二つの墓を見学したのですが、宣長のことを、あらためて自分のために自身でもっと考えてみる必要をかんじました。(小林秀雄のようにはうまくいませんが)

「伊勢神宮の意味を問うツアー」では、初日に本居宣長のどちらの墓が本音なのかわからない二つの墓を見学したのですが、翌日の帰りの電車のなかで、北京大学から東大に研究しにいらっしゃっている留学生さんから質問を受けました。「宣長はなぜ漢学を嫌った…