柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? (1)

柄谷行人の'交通'はどこへ消えたか?
ー日本オリエンタリズムについて考える (1)

分かりやすい例として、貝塚茂樹丸山真男の中国認識がいかに、オリエンタリズムを構成するのかをみながら、柄谷行人の中国認識の問題点を分析する手がかりとしよう。実は柄谷が好む言い方に従うと、中国そのものは物自体。寧ろ他者認識としての中国認識がいかに内向きに日本の全体主義の言説を成り立たせるかが問題だ

貝塚茂樹は、桑原武夫吉川幸次郎と同年代。wikiによると、早くから西田幾多郎内藤湖南ら戦前の京都学派に直接接していた桑原とともに、戦後の京都学派を形成したという。この三人はフランスに行っている。貝塚の中国認識は、留学先のフランスのシナ研究に依るだろう。つまりオリエンタリズム

簡単に説明すると、戦後京都学派 (貝塚、桑原、吉川)は、戦前の西田の京都学派とは直線的連続性がない。このライバルが、東大で中国研究したの溝口。戦後京都学派には現代中国に対する尊敬がないことに溝口は憤慨した。溝口と竹内の中国認識は、戦後京都学派のオリエンタリズムとは別のオリエンタリズムを構成している

断定はできないけれど、「現代思想」(三月号)の対談を読むかぎい、柄谷行人は、京都学派の西田幾多郎に与える一定の高い評価から、中国認識を行っている。ただしもっと後で論じたいと思うが、柄谷が中国と言っているものが一体何かと言う問題がある。総体としての21世紀に現れた言説の運動のプロセスを'中国'と名づけていないだろうか