英語の場合、否定の反語的使用が婉曲表現を組み立てるから、会話の中でnotがきこえてきたら要注意

敬語はコミュニケーションを成り立たせるための婉曲表現。敬語はむつかしいよな。意外と自覚されていないけど、英語も日本語に劣らず敬語がめんどくさい。たとえば、ロンドンの喫茶店でフランス語の本を読んでいたときのこと。知り合いのイギリス人が「I can't read French」と繰り返すんだね。それに黙っていると、なーんか失礼な雰囲気になっちゃっているのさ。おかしいな?と、後で考えてわかったんだけど、本当は、そのイギリス人が「おまえはフランス語が読めるのか?」とききたかったんだね。「I can't read French」という彼の言葉が婉曲表現だと知れば、そのときは、「まあね、読める本もありますがね」と適当に答えるべきだったんだよ。英語の場合、否定の反語的使用が婉曲表現を組み立てるから、会話の中でnotがきこえてきたら要注意。こうして考えてみると、婉曲表現は礼儀正しいけど、効率が悪い。だから婉曲表現なのか、当たり前か。よくは知らないけれど、あからさまな欲望を隠すために、宮廷でのコミュニケーションに必要だったわけでしょう。敬語は。だからこれとは反対に、欲望の世界では敬語はすくなっていくのが道理。哲学の本はね、敬語で書かれていないから好きなのさ(笑) 。ちなみに、敬語は五年生・六年生から学ぶことになる。昔海外でこの時期の小学生を二年間教えていたことがあって、文部省の教科書指導要綱をよむと、一般的に現代の日本社会においては過大な敬語は控えたいみたいなことを書いてあったけど、これとは逆に、最近の若者は友達同士の間でも敬語で喋るよね。どうしてなのだろうかと思ってしまう