白紙の本 (詩)

白紙の本

 

思想というのは終わらない。
消滅したときに変容しているだけだ。
思想の思想性はわれわれの側に終わらない可能性がある。
2015年のブレヒトの思想は、ローザの消滅する肉体の詩を書いたほどの唯物論の、       死を超越した、唯物論的批判精神の故郷に帰ることができるが、
しかし人々は故郷に帰るためには根本を問うことが条件となるだろう。

 

沖縄から遠く離れて。何を知るべきなのか?わからないまま
「安倍首相にとって沖縄は植民地か。」許せない
「大手メディアは沖縄にもっと関心を寄せるべきだ。」異論なし
ただ、安倍の沖縄、大手メディアの沖縄とはべつに、
辺野古の海で人々が沖縄自身を存在させるために、
非暴力の直接行動しかないときめたようにみえる。
たぶんわたしは一番それを知りたいのだ

 

ただ自己の名誉心の内部に勝手にこしらえた
英霊」の声を聞きすぎる一方で、
<戦争を終わらせる>と誓った憲法の理念性を住処としている
死者たちのことを理解しないならば、
ただ一国の都合で書き換えてしまうということが起きる。
このことは何度でも言おう。
人類が戦争の歴史を書いた以上、
一国の都合で書き換えることなどは
倫理的に不可能なことであると言わざるを得ない

 

歴史修正主義のプロパガンダの世ほど嫌なものはなく、
2015年のいまを慣れてはいけないんだ。
と、自己の起源の解釈について考えさせられる
二月二十三日が一番厄介だ。世界は古典を一行一行読むような、
白紙の本をつくる意志がまだあるか?
芸術がそれを言う主体に触発した意味?
フーコが言う統治性、非対称な諸力の関係を再びかんがえる。
こんなところで、地獄の黙示録の魔法使いのほうきも取りのぞけない、
不均衡性。まずはLDPの'国民'という時代遅れな鏡を割ることから