愛川欽也を称えよう

愛川欽也を称えよう

人間はいかに、「この道」に閉じこまれた自己の袋小路から脱出するために、外部にある領域を、自己の世界の中心にしようとするか。かくも動物の領域が芸術の表現において政治的な意味をもつことすらあります。そうしてワグナーのジークフリートに語りかける「鳥」が公共芸術の空間に導入されました。しかし「鳥」はあまりに大地に根ざしていました。これと比べると、愛川欽也の「猫」のほうが、国体武道の大地ファシズムを相対化していたのではないでしょうか。大人に属さないし子供にも属さない声の力で、'いなかっぺ大将'の「この道しかない」でいわれる意味を見事に拡散したのです。そして、見逃せないことは、したたかに、軽やかに蝶のように舞う、ほかならないこの声で、夏目漱石の「猫」、大島弓子の「猫」よりもはるかに遠くへ行ったことでした。つまり憲法を積極的に利用してみせたのです。憲法がそれを朗読する自己に触発する多義的意味を伝えるためならば、資本の大衆的欲望の集中、テレビ・ラジオの番組の貨幣的流れをいくら切断してもかまわないのでした。ニャンとも服従しようとしないこの市民の名前を決して忘れまい!