No general ethics, no universal rights

No general ethics, no universal rights

レジスタント運動のサルトルのジレンマは、かりにファシズムをやっつけてもそのかわりに資本主義が勝利したらいったい意味があるのだろうかというものでした。このサルトルのジレンマとは逆に、反グローバル資本主義の意思表示であった、2009年ロンドンでのG20開催とサッチャーリズムの労働党に反対した中央銀行前広場の占拠のときは、この占拠によって、労働党の信頼が決定的に失墜し、しかしそのかわりもっと悪いファシズム的な保守党が政権をとるとしたら、意味があるのだろうかなどと共に考えたものですが、今年の選挙でその保守党が敗北することになりそうです。さて、3年前の投稿をみると、きょうはサイードを読んでいたようです。この三年間のあいだ、「選ぶ」民主主義の「合意」生産・流通の物質主義にたいする不信感はますますつのる一方でありますが、現在の知的な関心は、歴史を重んじるポストコロニアリズム研究と文化相対主義から、形式を重んじる普遍 (=無限)を擁護していく存在論的倫理学へと大きく移ってきました。普遍的に、東アジアの倫理学と権利について考えるようになりました。東アジアにおいてもっとヨーロッパの自由と権利が確立していく可能性がないかとおもっています