70字のふつうでない国

70字のふつうでない国

 

日本は幾つの国と戦争をしたか知っているだろうか?現在ふつうの国でないと嘲笑う政治家は、敗戦後、再び決して45ヵ国と戦争しないふつうでない国として出発した誓いを忘却している

 

 

 

<ふつうの国>をいう論者はアメリカの大学で国旗掲揚と国歌合唱の例をあげて<ふつうの国>だと得意げに指摘しますが、かれらのご主人様?のアメリカはそれでいいのかもしれませんが、日本においてそうしてなにもかも<ふつうの国>にしていったら戦争を終わらせる、繰り返すなと誓った敗戦後の原点を忘れていく危険性が大いにあります。<ふつうの国>の論者、ー日本的ポストモダニズムの、<ふつう>が一番危ないことすら知らぬ素朴な論客も加わってきたようですがーは、かれらが尊重する文化の多様性を、イコール固有主義、したがって国の民族主義と同一視して学校や大学での君が代・日の丸の義務化をいうのですが、もしほんとうに固有主義へのこだわりを示すのならば、ではいったいなぜ、敗戦後の<ふつうの国でない>アイデンティティーを引き受けた固有の経験を忘れてしまおうとするのでしょうか?この点については、わたしは、この<ふつうの国でない>原点が、竹内好が「再び主人にならない永久のドレイとして生きていく」というようなことを言い切った日本のアイデンティティーと深い関係があるとかんがえています。戦争する国に不可避的に絡み取られていく、<近代>を乗り越えていくための、真の意味での近代の超克の理念性を構成するものは、なにかとかんがえるとき、<ふつうの国>という響きのいい説得はそれほど信頼できるものとは思いません