人のために死ねという国家道徳 vs. 人のために死ぬなという市民道徳

人のために死ねという国家道徳 vs. 人のために死ぬなという市民道徳

特攻隊で英雄的に死んだり、人のために死ぬのは、まちがった、むだな死に方であり、それは民主的ではありません。まちがった、むだな死に方を称えるのは、現在学校で押しつけている教えようとしている国家道徳。そんな国家道徳とは違って、徹底した平和主義の憲法に書かれている市民道徳は、本当は、ラジカルな批判精神をもっていて、徹底的に道徳的であれ、もし、まちがった、むだな死に方をしなければ鞭を打ってくるような国家ならば、そんな道徳性のない国家をきっぱり捨てて逃げてしまいなさい!と (日本国民にだけでなく) 世界中の人々にたいして要求しています。こういう憲法の理想に反発して、教育勅語の復活をもとめる安倍などの改憲論者は、「憲法が押しつけられる」前に、すでに、生活する人々のあいだに読まれてきた「論語」に、「子之所慎、斎・戦・疾」 (子の慎むところは、斎・戦・疾)とあるような、つまり人のために死ぬなという言葉があることを全然知らないのです。