大英博物館のケルト展

大英博物館で初めてのケルト展が始まります。方法論的探究を超えて実体的に、文字なき大和王国を実体化するのがヤバイように(現在の政治を都合よく投影した解釈でしかないから)、ケルト文化の実体化を疑うアカデミズム的見解に従ってきましたから、わざわざ行ってもと躊躇します。東京で居酒屋に行けば、アイルランドというと、何でもかんでもケルトに結びつけてくるから耐えられません。アイルランド人はケルトの呼称をきいたのは、海外からの投資を呼び込む政府機関の扇動した90年代の'ケルトの虎'ブームのときでした。1970年代EU加盟のときまでヨーロッパ人だという自覚すらもなかったといいます。メディア・スタディ―ズによると、1950年代には二つの国家に分断された朝鮮半島の貧しいコリアに大きな同一化を行っていたという現在忘れられてしまった事実があります。ジョイスはどう考えていたのか?19世紀のゲール語死滅の後に、20世紀に独立国家がその少数言語とヨーロッパの基底にあったケルト文化を再建するという方向は、文字を持つ知識人の、その古代語は誰も読めないのに、文字なき社会に対する思い込みにみえました。だからといって「ユリシーズ」のジョイスは多様性の理念を棄てたりはしません。多様性の理念を、帝国主義の近代国家(イギリス)と反帝国主義民族主義的国家(アイルランド)から、守ろうとしたのです。作家は、純粋国家からの「自分で決めた亡命」を行うことなしに、自己自身が成り立つ条件もまた理念的に再構成した普遍的多様性の言語の痕跡も、書くことができなかったのではないでしょうか。後の時代になって、多様性の理念を、ファシズムから攻撃されないように保つことが課題となったとき、読み出すことができない死に切った過去を愛する身振りでケルト書を利用した「フィネガンズウエイク」を書きます。自分たちの過去を都合よく読み出したファシズム似非文化政策に抵抗してみせ、絶対の過去、ケルト書の読めない本を再構成しました。やはり行こうかな