民俗学• 文化人類学について考える

共同体の他の文明からの自立は、その他の文明を絶えず意識しながら、他者の言語を借り物でない自己のものにしていく過程である。マルクス主義ではこのような上部構造の分析は根本的に不可能であるから、自ずと民俗学又は文化人類学精神分析学のもとに構造を学びに行くのである。共同体の、まるで子供が他者の言葉を自己のものにしていくこの過程を構造として方法的に捉えること。だが問題となってくるのは、ナショナルなものに絡み取られずに、文化人類学精神分析学でただ単に自己同一性の構造しかみないような実体化が始まらないという保証がないことだ。それではマルクスからヘーゲルの「教育」へ行っただけだと言わざるを得ない。ここで「野生の思考」の知的探求は一応の終止符がおかれ、「言葉と物」の言説を分析する批評精神が開始されることになると私は勝手に理解しているのだけれど