「弁名」ノート‬ No. 25 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 25 ( 私の文学的フットノート)

子安氏は仁とは儒家道徳の中核的概念であるという。朱子の定義を紹介する。「天地物生じるを以て心と為す。しかして人物の生まるるや、またおのおのかの天地の心を得て以て心と為すなり。故に心の徳を語れば、その総摂貫通して、備わらざる所なしといえども、然れども一言以てこれを覆えば、すなわち曰く、仁のみと」(「仁説」)。天地の生成的大徳の人間におけるものとしての仁徳をいう朱子の仁のとらえ方に対して、先王による制作という社会形成論あるいは社会構成論に立つ徂徠は、この仁徳をどのようにとらえるのかと子安氏は問いかける。‬

‪子安氏は仁とは儒家道徳の中核的概念であるという。朱子の定義を紹介する。「天地物生じるを以て心と為す。しかして人物の生まるるや、またおのおのかの天地の心を得て以て心と為すなり。故に心の徳を語れば、その総摂貫通して、備わらざる所なしといえども、然れども一言以てこれを覆えば、すなわち曰く、仁のみと」(「仁説」)。天地の生成的大徳の人間におけるものとしての仁徳をいう朱子の仁のとらえ方に対して、先王による制作という社会形成論あるいは社会構成論に立つ徂徠は、この仁徳をどのようにとらえるのかと子安氏は問いかける。‬

‪「仁とは、人に長となり、民を安ずるの徳を謂うなり。これ聖人の大徳なり。天地の大徳を生と曰う。聖人これに則る。故にまたこれを「生を好むの徳」と謂う。聖人とは、古えの天下にきみたるものなり。故に君の徳はこれより尚きはなし。ここを以て伝に曰く、「人の君なりては仁に止まる」と。聖人とは、得て学ぶべからず。後の君子、聖人の道を学んで以てその徳を成すものは、仁徳を至れりとなす。故に孔子曰く、「君子、仁を去りて、いずくにか名を成さん」と。言うこころは、君子と命(なづ)くる所以のものは、仁を以てなり。故に孔門の教えは、必ず仁に依る。その心の聖人の仁と相離れざるを謂うなり。故に仁とは、聖人の大徳にして、君子の徳を為す所以なり。‬

‪(子安訳) 「 ‪仁とは、人の長となり、民を安らかにする徳をいうのである。それゆえ仁とは聖人の大徳である。『易』に「天地の大徳を生と曰う」(繋辞下)とあるが、まさしく聖人の仁とはこの天地の大徳に即ったものである。だから帝王の徳を「生を好む」というのである。聖人とは古えにあって天下の君主である。それゆえ君主の徳はこの仁以上に尊いものはない。そこから『大学』には「人の君となりては仁に止まる(仁を標準とする)」といわれるのである。また聖人そのものは学んで達しうる存在ではない。ただ後世の君子たるものが聖人の道を学んで徳を己れになすにあたって、仁を究極の目標とするのである。だから孔子は『論語』で、君子、仁うぃ去りて、いずくにか名を成さん」(里仁)といっているのである。その意味するところは、君子が君子の名を得ているのは仁によってだということである。それゆえ孔門の教えは必ず「仁に依る」(述而)のである。それは君子の心が常に仁と離れないことをいうのである。それゆえ仁とは聖人の大徳であり‬‪、君子がそれを至極として徳を形成するものである。」‬

‪• 天下安民の徳におけるものとしての仁をいう徂徠のこの仁のとらえ方をどのように読むかである。徂徠はなにを言うことになったのであろうか。ここで子安氏は、徂徠の政治的思惟が見事に体系性をもって記述されていることに注目している。結論からいうと、総体としての人間をとらえる視点である。私の理解では、徂徠の視点は、仁斎が依る宇宙論的な人類的視点を差異化できたのでる。評釈で子安氏のこの考えを追ってみよう。「私が「政治的」というのは、「道徳的」ということに対してである。道徳的思惟を、私は我ー汝という対他的・侍人的関係を実ならしめることを基底とした実践的志向をもった思惟ととらえる。それに対して政治的思惟を、人間を共同体的存在ととらえ、総体としての人間に対する統治的志向をもった思惟ととらえる。後者における総体としての人間をとらえる視点が、君主・王=為政者のものである。「聖人とは、古えの天下に君たるものなり」という聖人=先王とは、この政治的視点の所在をいうのであり、徂徠の政治的言説を構成している究極の主体をいうのである。」という。‬