ソフトな救済神学的な文化権力

この絶対的権威は、言論によっては覆すのが難しいですね。この権威は、これが嘘を言っているとだれも皆知ってるのに、厄介なことに、常に一定の支持率をもつのです。今回に限らず、その街頭演説にヤジが飛ぶし、抗議プラカードもあがることでしょう。奪われてはならないという最低限度の権利ですよね。ところがこれらヤジとプラカードに対する'異論'が自らに喋る'違和感'って何でしょうか?かくも純粋に自らを超越化できると思わせるのは、かつての国家神道ほどハードなものではありませんが、しかし十分に反論されないままに、権利のない社会を作る方向で、なんとなくなしくずし的に、安倍政権が政治の外から押し進めてきた、ソフトな救済神学的な文化権力と無関係なのでしょうか。