‪映画「日曜日の散歩者ーわすれられた台湾詩人たち」

‪映画「日曜日の散歩者ーわすれられた台湾詩人たち」


20世紀のモダニズムの精神は、ヨーロッパの近代の勝利を証言しても、植民地をもたない国にとってはゼロに等しい。このテーマはダブリン時代から私の中で反復する。それは私を捉えて離さない。カフカの書くような吸血鬼的特異な言語の様相と異なり、ジョイスも現代演劇のフリールもオスカーワイルドが書いたような'フラット'な標準英語を使う。それを以て、"一国家一言語" に対する意味を外部から問うことに変わりない。台南のシュールレアリスムの詩人たちが日本語で台湾文学を書いていたのも、ほかならない、この外部的位置からだったのだろうか。映画「日曜日の散歩者ーわすれられた台湾詩人たち」は、台湾の若き詩人たちが大戦前夜の同じ時代に、日本のモダニズムの文学運動に影響されながら、シュールレアリスムダダイズムを言語的抵抗手段にしながら、時代に同じない彼らの孤独の詩情を言語化していった歴史を伝える。映画をみた子安氏が指摘しているように、一方で、ネイティブ言語日本語のモダニズム文学者とシュールレアリストが大東亜戦争の翼賛者になっていき、他方で、植民地言語日本語による台南の若い詩人たちはモダニズムをもって彼らの抵抗を表現していったのである。‬