知識人

三浦さんの言う「いまある制度」が、安倍政権と日本会議が根差そうとしている、明治維新の新・権門体制(旧権門体制に下級武士、軍人、官僚を加えた支配体制)だから、その「いまある制度」とは別の制度の可能性を考えようとしている。また祭政一致に行く方向のなかから、表象に文化的起源をはめ込もうとする「いまある制度」の中から、その内部に則して「深く考え」る類の反省ではやっていけなくなるのでは?知識人というものは反時代的に方向づけるー人類と共同体に立つ。「社会の進歩のために」反省したりしない。傾向として、日本哲学者の多くは制度の問題をいつも主観から入る。問題は、その主観が予定調和的であること。「いまある制度」の部分となっていて外部の位置からみようとしないからか?‬自身に対する批判をこめて問う