一国知の問題

一国知はもうたくさんだ。必要とされているのは、近所どうし、隣りの国どうしの知の共有である。共有とはともに考えること



周辺の特殊は、近所どうしの関係から切り離された場所で、自らの固有性を解釈しても、そこに否定した普遍が再び現われているだけ。普遍は、住処とする特殊から、自らがそれほど普遍的に非ずと語る。問題は、一国知の構造ー中心の普遍が周辺の特殊の代わりに語るーは変わらぬとき、特殊は益々普遍的になっているということ