MEMO

紆余曲折にみちたドンキ・ホーテの冒険は、そのまま境界線を描いている。

ーフーコ『言葉と物』


With all their twists and turns, Don Quixot's adventures form the boundary. 

ー Foucault


‪Avec leurs tours et leur détours, les aventures de Don Quichotte tracent la limite; en elles finissent les jeux anciens de la ressemblance et des signes; là se nouent dèjà de nouveaux rapports. Don Quichotte n'est pas l'homme de l'extravagance, mais plutôt le pèlerin méticuleux qui fait étape devant toutes les marques de la similitude. Il est le héros du Même. Pas plus que de son étroite province, il ne parvient á s'éloigner de la plaine familière qui s'étale autour de l'Analogue. Indéfiniment il la parcourt, sans franchir jamais les frontières nettes de la différence, ni rejoindre le cœur de l'identité. Or, il est lui-même à la ressemblance des signes. ーFoucalt‬


‪紆余曲折にみちたドンキ・ホーテの冒険は、そのまま境界線を描いている。類似と記号(=しるし)とのかつての戯れはここで終わりを告げ、そこにはすでに新しい関係が結ばれているのだ。ドンキ・ホーテは、常軌を逸した人間ではなく、むしろ相似のあらゆる標識のまえで足をとめる巡礼である。彼は<同一者>の英雄なのだ。彼は己の狭い故郷を離れることができないように、<類似者>のまわりに広がるおなじみの平原を離れることができない。彼はその平原を際限なく巡歴するのだが、けっして相違性の明確な国境を越えることも、同一性の核心に達することものない。ところで彼自身記号(シーニュ)に似ている。ーフーコ『言葉と物』‬


私は明治の末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語を連想する。

ー 尾崎行尾『民主政治読


かつて必要なきに無闇に欧化主義が鼓吹された時代があった。今日において排外思想を懐くというようなことは、実に時代を逆行するもので、そもそもまた時勢に適応する所以でない。他を排すれば、他からまた排斥されるのは当然である。ー尾崎行雄『世界的英雄時代』


我が国に留学し我が国に於いて諸般の学問をしながら、排日思想をもたらして帰る者(中国人)を忘恩者と言うことが出来るならば、千五、六百年間も支那の文芸を学習しながらチャンコロなどと悪口雑言を逞しくする所の我が国人も忘恩者と言わねばなるまい。ー尾崎行尾『我思ふ所』


天皇陛下万歳とかみな言って八月十五日になったら泣いておったという人は、みな左翼になったんだよ。私みたいにブラブラしているやつはならへんの。それが非常に大事なの。ブラブラして箸にも棒にもかからんやついるやろ。これが社会の中核になると、それは市民なのよ。小田実『都市と科学の論理』1999年


‪‪世界の英語化のなかで、ワンクリックで地球の裏まで通信できちゃうこスピードの時代に、ものすごく時間がかかりそーな形而上学にかくも惹かれてしまうのはどうしてなのだろうか?いくら形而上学に可能性があるといっても、差延と代補が必要。形而上学差延(「もしもし」と呼びかけて600頁先で間違いかもしれないが応答するという遅れ)と代補(12世紀漢文と17世紀の書き下し文)をもたなければ、意味作用の中心に絡みとられる形で自分が発した自己の声を聞く現前の解体が成り立たなくなるとおもわれる