政治的介入という形の反緊縮の声、根拠としての理の声が遠い‬...

ヴィットゲンシュタインの期待と理性の鎖の不可能について考えた言葉を読む。ネオリベの理論なんかは、期待の形成の為に、計画の一定の限界を分析した理論であったとおもう。問題は、そこから、計画そのものが意味がないとする行き過ぎた言説が、ブレヒトが言う意味で、歴史的かつ社会的な成り立ってしまった点にある。90年代から思想はなんとかしなければと真剣に考えたのであるが、だけれど、こちらにある、市場の遠いもの同士を近づける偶然性に託した位置から、現在、あちらにある、礼というヘーゲルの客観精神の方に向かって再び期待しただけであった。そうして計画だけでなく、根拠としてのロゴスそれ自体もゼロにされ始めたかもしれないというのに。政治的介入という形の反緊縮の声、これと一体となった、根拠としての理を求める声が遠い‬...