エクリチュール論

‪近代の始まりが、原初的テクストにおいて列挙されたものの分けられる場所である<なかで>を不可能にすることによって、列挙される<と>を崩壊させてしまう。ここから、<と>は言語のなかの未知数と成る。崩壊はおどろおどろしい境界とは無関係で、理の言語的存在者にとって存在することの意味を問う思考がこれをやるのである。エクリチュールが先行するにもかかわらず、確立した近代からは、何が<先>で何が<後>かがみえなくなってしまう。‬近代の反復とは思考が<先>にあると教えてくるような類の反復である。他者の位置を学ぶことがない。他者は立札としての思想を見ることができない外部に位置しているからこそ、思想はあるか?と問い返してきたのではなかったか?エクリチュールの<他なき>あり方が問われているところに、だけれど、まだ近代は思想はあるかどうかは恰も<なかで>定数として物として同じ場所にあるかどうかを以ってきまると語り続けている。その声を、近代から措定された<起源>のほかに、だれも聞いてはいない