卑近的史上あるいは至上的卑近 ー至上なものは卑近なものにある

至上なものは卑近なものにある。それはどういう意味か?至上なものが君主から国家へ移る近代に、人間は国家の位置をもつ。そこで客体の側の自らをみる主体の構造が成り立ったのである。‪しかし至上なものが卑近なものを住処とすることは、至上なものとの同一化(国家理性)を意味したり、または卑近なものとの同一化(ナショナリズム)を意味することなのだろうか。近代の終わりに、卑近的史上あるいは至上的卑近に向かって、近代を成り立たせた国家理性とナショナリズムの構造から自立する究極の主体の確立が要請される時代が始まったのではないか