「大嘗祭」の問題

聖徳記念絵画館では、「五箇条御誓文」、「江戸開城談判」、「即位礼」、「神宮親謁」、「廃藩置県」、「岩倉大使欧米派遣」といった壁画のあとに、21番目の「大嘗祭」の壁画(1871)がくる。「靖國神社行幸」の壁画(1895)は64番目である。オフィシャルガイドの説明文は「『大嘗祭』とは、新穀を天照大御神に供えると共に、自らも召し上がり、... 大嘗祭は一代に一度です(天皇の「代替わり」にともなう儀式)」とある。古来から続いてきたように教えるが、「大嘗祭」の壁画に先行する一連のイメージ、その後に続く「靖國神社行幸」を含むイメージを見ればわかるように、「大嘗祭」は近代の発明、国体の制作を完成させる国家神道の発明としてあったのである。事実上の国家的行事として多額の公費をつぎ込むやり方は、戦後憲法に明らかに反している