フーコ

17世紀からヨーロッパの市民たちが芸術批評を読みはじめるのですね。17世紀というのは、ヨーロッパだけでなくアジアも外へ出て行く時代。17世紀に向かって明の崩壊の理由のひとつに李氏朝鮮への出兵がありました。これについては昭和思想史研究会の懇親会のときに話題に出たのですが、芸術の力が17世紀をとらえたのではなかったかと考えてみたら、どんなことが言えるでしょうか。芸術の力というのは内部化を拒む力だったのではないでしょうか。1960年代に近代批判のポスト構造主義が『ラス・メニーナス』から語りはじめたのは必然だったのです。また『ミルプラトー』のラディカリズムの問題提起も理解できるかもしれません 。