‪ゴダール『パッション』(1982)

ゴダール『パッション』(1982)のなかで、『勝手にしやがれ』以来長年ゴダール映画のカメラマンを務めたクタールがレンブラントの絵を分析している。夜警はまるで昼警だと驚く。メタモルフォーゼーの線。映画の冒頭の空を突き抜ける光の線が絵画の光の線となる。絵画は映画となるとき絵画から人間たちがあらわれる。類似性の線。吃る工場労働者と咳する雇い主。映画監督と経営者。事物が舞うバレーの線。プラトー、自動車、経営者、監督、工場、女優、絵画、映画、身体。そして交錯していく線と線において、天から意味を与えられていく具体性の展開。‬

‪映画『パッション』のシナリオ」(1983)は、ゴダールが自分の映画『パッション』について語る短編映画である。スクリーンは語る人の背後にあるべきではないという考えをもって、スクリーンに向き合うゴダール。語り終わったとき、暗闇のなかにいるその彼の背後に向かって、暗闇のなかに広がっていたような光が溢れだすようである。と、海の広がりのなかにいるゴダールの姿。これらが意味するものはなにか?闇が光に、光が闇に生まれ変われるメタモルフォーゼか?この編集は、暗闇の卑近にあるのは光しかないというほどの無分節の世界の記憶を蘇らせるものであると考えてみたら、それによりどんなことが言えるか?人間は、スクリーンを背後にして語る自己を否定する観念によって(スクリーンに向きあうことになる)、平等に差異が差異としてあるような真の意味での多元世界に来るのではないか。これは形而上学の映画である。絶対的な<自分が語るのを-聞き-たい>ということである。(映画館の暗闇は自分がどういう階級であるかを隠してくれたとデユラスは少女時代を回想している。)‬f:id:owlcato:20190409125336j:plainf:id:owlcato:20190409124529j:plainf:id:owlcato:20190409125149j:plain