ゴダールの‪『カラビニエ』(1963)

‪『カラビニエ』(仏語 Les Carabiniers、「カービン銃兵たち」の意 。1963)は、年ロベルト・ロッセリーニの書いたブレヒト劇の戯曲をもとに、ゴダールが映画に翻案したらしい。銃殺される女性がロシア・アバンギャルドの詩を口にすると兵士達が発砲できなくなるシーンf:id:owlcato:20190410001135j:plainf:id:owlcato:20190410001001j:plainロッセリーニを喚起するーが大変印象的であるけれど、この映画にリアルな戦争や死体はない。当時のアルジェリア戦争の理解が深まるわけでも、現在言論の自由の国が戦争している相手国に対してヘイトスピーチすることがどんなに危険なのかを考えるヒントがあるわけでもない。観光客の絵葉書を掻き集める態度は文化の支配する欲望というか何かナショナリズムに通じるものがあるというようなことを感想として言えばいいのだろうが、ここはわたしにとってこの映画がどんな意味をもつのかを書くだけである。レンブラントに敬礼している兵隊カラビニエの身振りとジェスチャーの意味は一体何だろうか。レンブラントはこの自画像をほんとうに描いたのだろうか?そもそも自画像とレンブラントの人生とは共通のものがないのである。しかし全てを懐疑に委ねるのではニヒリズムに陥るので、そこで、作品は存在した、原初的テクスト(経典)が存在するように、としよう。ここは疑わない。そうすると何が言えるのか?「カラビニエは芸術家に敬礼する」。カラビニエにとって作品は存在する。敬礼によって目の前の絵を指さすことはできるが、何を指示しているかはそれほど明らかではない。カラビニエの絵を見る視点しか存在しない。絵画論の言説だけが存在するのである。‬映画も同じである。映画は見る人の観点にしか存在しない。