『フィネガンズ・ウェイク』1

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The fall (bababadalgharaghtakamminareonnkonnbronntonnerronntuonnhunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthurnuk!) ーJoyce ‘ Finnegans Wake ‘

多言語で構成されている雷の音

‪フィネガンの落下、雷の音、20年代のウオール街の株価落下... ジョイスは身体の地理的表象を書く。ダブリンの風景と眠れる巨人の姿のモンタージュ。ホース岬に人類の頭脳があり、西方のフェニックス公園に爪先がある。‬

‪The great fall of the offwall entailed at such short notice the pftjschute of Finnegans, erse solid man, that the humptyhillhead of humself prumptly sends unquiring one well to the west in quest of his tumptytumtoes. ‬

‪ー Joyce, FW‬

‬『ユリシーズ』では、20世紀のブルームの視点を通して、反帝国主義の自分に打ち勝つ武力的たたかい(それは帝国主義の自分に打ち勝つ武力的たたかいと類似している)に距離がとられているけれど、(帝国に連れ出されたユダヤ人たちの)土地の奪回を望む神話的な無意識が書かれていた。‬『ユリシーズ』はマーテル塔から始まることが象徴的である(ギリシャ神話”テレマコス”のパロディー。)

それと比べて、『フィネガンズ・ウェイク』の書き出しが画期的なのは、己に帰る流れのことから描写しはじめている点にある。riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodious vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs. ( Joyce Finnegans Wake)

己とは人に対する自分をいう。打ち勝つとは自分よりも人を優先させることである。つまり他者を愛することが己に帰る流れを意味する。「デヴリン人が初めてリヴィを愛して以来」since devlinsfirst lived livvy