「日本政治思想史研究」(英語版への著者の序文)で、丸山真男は 、'現代日本はすでに「近代の超克」が最大課題になるほど、それ ほど近代化されていない' という。'高度に発達したテクノロジー'と'二十世紀以前の神話 'の共存を嘲笑う。'二十世紀以前の神話'は近代が発明したとは 疑わないのか?丸山自身がそれをみとめている。彼は言う。'維新 以前の時代においても伝統主義者が美化しているほどには、「近代 」と無縁な「東洋精神」が歴史的に変化から免れて持続していたわ けではない'。つまりここで'二十世紀以前の神話'なども近代が 発明したことと同じことを言っているのに彼は気がつかない。サデ ィズムと暴力へのカルト的憧憬、カリスマ救済者への迎合的服従、 死などの不合理性を強調した教化、起源に対するノスタルジー、知 識人の批判精神に対する反発。こうした特徴がバラ...バラではなく、まとまった体系として存在するのが、近代だけが作 れる二十世紀の'二十世紀以前の神話'、すなわちファシズムだ。 これが分からないものは、八月十五日に安倍首相が行く可能性のあ る靖国神社がいつ、どのような言説によって成り立ったかを調べた らいい。明治政府が建立した靖国神社は、近代が作った二十世紀的 な'二十世紀以前の神話'。近代がつくった政教分離の憲法を壊し 東アジアの平和を脅かすものこそが、この近代なのだ。たしかに三 十年代の「近代の超克」は軍国主義と全体主義に押し流され破綻し てしまった。だからといって、安倍体制に顕現した近代のカタスト ロフィー的矛盾を乗り越えることの課題が市民から消えてなくなっ たわけではない。現に市民が立ちあがることがなければ、だれが?