コピーが先、オリジナルが後、という不可思議 ー ポストコロニアリズム理論や従属理論が、いかにポスト構造主義に負うているかの興味深い例

コピーが先、オリジナルが後、という不可思議

アイルランドにいくと、自己を保つために穏健なナショナリズム持つ人々と出会うけれど、ハリウッド映画に出てくるような顕著な'民族主義者'の姿をみたことがなかった。IRAのシンフェインも元々は、草の根の市民運動であった。民族主義がいるのか、いないのかが問題ではない。だれが、民族主義者と名づけるのかという問題しか存在しないのだ。(佐藤優が巻いてくる、民族主義のアイデンティティーの闘争という時代遅れの一九世紀的事大主義主義的お話では、どこの国のどんな事件も理解できっこないんだな。) これにかんして、ポストコロニアリズム理論や従属理論が、いかにポスト構造主義に負うているかの興味深い例をひとつ紹介すれば全体像を捉えることができよう。さてアイルランドでは、文学や演劇が'祖母'を神話的に描いてきた。しかし現実世界では、'祖母'民族主義の象徴とはなっていない。が、コピーが先、オリジナルが後という奇怪なことが起きた。ハリウッド映画が「祖母を守れ!」という偽のアイルランド人像(コピー)をつくり、シンフェイン党がそのコピーを利用したのだ。これは何を意味するか? 結果的に、選挙民のうちシンフェイン党に投票した人々は、ハリウッド映画の自分たちと関係がないイメージを、自らを表すオリジナルな肖像画として受け入れることになったのだね。これはアイルランドのメディア研究による分析である。