近代主義者が描いた<ある若い芸術家の肖像>は、近代主義者が描いた<ある若い民族主義者の肖像>でもあり得たが、ここからどんな肖像画も<近代主義者の肖像>の反復でしかないというアイロニーの感覚をもつこと

文学は一番抑圧されたものを主人公として設定してきた。これはジョイスが「ユリシーズ」でアイルランドで生まれたユダヤ系の人物を主人公にした理由。現在ジョイスが書いたら主人公は間違いなくパレスチナ人だと明言したのは、デビッド・ノリスであった。ジョイスの漫画本に異化効果を期待していた。肖像画はあえてこれを漫画として捉えようー意味された内容を称えることをやめるために。近代主義者が描いた<ある若い芸術家の肖像>は、近代主義者が描いた<ある若い民族主義者の肖像>でもあり得たが、ここからどんな肖像画も<近代主義者の肖像>の反復でしかないというアイロニーの感覚をもて!小説の根底に「反オィデプス」があるのは、それが、抑圧してくる<父>に対するたたかいと無関係にはあり得ないからだが、「反オィデプス」が<父ー息子>の二項対立の内部に絡みとられないように、この'反'の接辞後に'非'も含まれてくることは、近代主義者が描く肖像画が本来的に空白であることとパラレルだね