ファシズムは多種多様 ― <家族的類似性>(Wittgenstein) として相互に類似し交差しあった諸領域

ファシズムは多種多様
― <家族的類似性>(Wittgenstein) として相互に類似し交差しあった諸領域 

ファシズムは多種多様です。イタリア、ドイツ、日本、イギリス、フランス、ソビエト文革の中国、マッカーシズムのアメリカと比較すると、家族的類似性とよぶことができるような相互に交差しあった領域がみえてきます。戦前の日本は天皇ファシズムでした。例えば、天皇憲法を与える制憲的な主権者であり、と同時に、憲法に制約されず(統帥権の行使等)、場合には、政治神学的な意味で憲法を超える存在でした (靖国神社を通して、闘う国家、祀る国家を主宰する天皇) 。しかし今日、戦後憲法の(戦前の大日本帝国憲法と連続性が断ち切れた)象徴天皇制のもとに、安倍自民党ファシズムであると非難するのは何を根拠にした認識でしょうか?ファシズムと非難するとき、そのまえに、「全体主義国家」totalitarianismと「ファシズム」fascism ('national fascism')を区別できているのでしょうか?ネオリベのワールドキャピタリズムの時代、二十一世紀のファシズムを再定義していくためにも、どこからどこまでが「全体主義国家」で、それを超えたときとなにが「ファシズム」なのかを知ることが大切です。この点について、第一次世界大戦に遡って整理しておく必要があり、(戦後民主主義が称える'大正デモクラシー'とは異なる視点で)「大正」を見直す意義もここにあるといえるでしょうか。