「有徳者必有言」 (「論語」憲問第十四) について

「有徳者必有言」(「論語」憲問第十四)
現代語訳「徳ある者は必ず言有り」

「だが言葉がなくてはならないときに言うものが有徳者である」(伊藤仁斎の大意、子安氏訳)。ここで「有徳者」という言葉がやはり近代のわれわれにはひっかかかる。2500年前の孔子の発言は「士」(位ある臣、役人として仕えている人)に向けられて発せられたのだが、このようには、18世紀の近世社会において(支配階層の武士でない)町人学者が武士に向かって公に政治の問題を口にすることは絶対に許されなかったという事情を理解することはそれほど難しくはない。そこで仁斎は公には語ることが許されぬ政治の問題を徹底的に道徳の問題として論じようとしたのだ。さてそうしてあらためて、「有徳者必有言」にあたえた仁斎の注釈(大意)を読んでみると、テレビもない私が言うのもなんだけれども、しかしこれほど優しい言葉で、「安倍チャンになるな!」という渋谷にあつまった民の声を言い表すことになる適確な言葉をほかに知らないのである。第三次世界大戦が勃発するかもしれない時代に、もうすでに安倍自民党がそのつもりでいるこの時代に、肝心な公の言葉がないのである。、'言葉がなくてはならないときに言うものが公共放送である"。"あなたたちはただ公共放送の職員として自らをただすだけでは足りない。公に信頼されている公共放送として、全体主義化している天下国家をただすべきではないか!"