応仁の乱をどう読むか

応仁の乱」において、京都の政治中心性・文化中心性の解体が起き、全国に拠点をもつ複数形の「小京都」への分裂が起きた。京都からの脱領土化を現実化した武士は、彼ら自身の文化を作らずとも、16世紀から17世紀の知識層の形成を促した媒介的存在であった。武士は普遍的であった。交通に普遍性がある。講義「武士の時代とは何か」(子安氏)の発見とはこのことだっただろうかと私は考えている。そして付け加えることは、室町幕府から江戸幕府成立まで明から大量の書物が一貫して輸入されていたという事実のことだという。さて脱領土化の方向性は、朱子学解体のあとの再領土化の方向性と対を為す。知識層の武士だけでなく僧侶の中から知識人に成る者もいたらしい。いうまでもなく、仁斎は商人出身だった。そして徂徠こそは、仁斎たち儒家知識人の理念性をものとして再構成することによって初めて制度を議論できるようにした。言い換えれば、知識人が言説を生産していく近代がはじまる。こうして、近代は、知識人が語る原初的テクストの書記言語性をもつことになるのだ。近代のはじまりというのは、これを、古代的復古主義明治維新に限定してしまうという公式的見解にいつまでも絡みとられる必要がない。‪明治維新などは、下級武士、貴族、官僚、軍人で作り直した権門体制でしかないのだから‬。