GODARD 「でもラングロワがこの世を去ったあと急にそうしたことをするために必要な条件がそろわなくなったのです・・・」。

「そのひとがジェネラル・モーターズの流れ作業のなかでなり、ある保険会社なりで働いていたとすれば、自分の労働についての写真は一枚も残っていないはずです。自分の子供の写真は何枚か残っていても、たぶんそれほど多くはないだろうし、いずれにしても、労働についての写真なり音はもっと少ないはずです。」

「私が言いたいのは、・・・妻を寝取られた男は、妻とその相手の男が一緒にいるところを見たりしたことがなければ、つまり、妻の写真と相手の男の写真を手に入れ、それらを並べて見たりしたことがなければ、あるいはまた、相手の男の写真を見たあと、鏡で自分自身を見たりしたことがなければ、その浮気についてはなにも見なかったことになるのです。つねに二度見る必要があるのです」

これは、人生の重要な側面である労働と愛について語ったすごい言葉だ。あちら側に語られる労働と愛が存在し、こちら側に語る映画が存在するとみなされるようなこの関係をゴダールは転倒する。否、転倒以上のことを行っている。ゴダールは労働と愛を映画の側から定義してしまっているからである。つまり「労働」とは映像(写真)が介在できない領域として定義される。他方で、「愛」とは「つねに二度見る必要がある」領域として定義されることになるのである。なにを言いたいのかまだわからない。ゴダールの言葉にしたがって理解するしかない。すると、映画は、映像(写真)が介在できない領域と「つねに二度見る必要がある」領域を呈示することが課題となると言っている。ここから、ゴダール自身の人生と仕事が語られると言っているとき、そこに映画が映画をとらえるという視点が働いているとかんがえていることがわかるのである。

あまりにも曖昧だとしてこの捉え方には批判も多いのだけれど、パレスチナ問題をいうときあえてそれを映画の問題として構成してみようとするのである(ドキュメントとフィクションの問題)。なぜか?恐らくは、映画から離れては、問題を開くことができない、(したがって政治家と専門家だけが語る問題のままである)と考えているからではないか。ゴダールは哲学者ではないけれど、哲学的な方法論的自覚をもっている知識人だとおもう。フーコがポスト構造主義の外部の思考を依拠できる思考としたように、ゴダールは映画を依拠できる思考として措定してきたのだから映画から接近するのだ。もちろん限界にぶつかる。その限界から知識人の語りが始まる。

 

 

消滅しないものは存在しない。ディドロが唯物論的にかんがえていたとすれば、永遠に変化しないものは存在しないと思っていたにちがいない。真理といわれる思考が依拠できる意見とは、永遠に変化しない意見のことではない。真理とは人々が絶えずたちかえる意見のことなのだ。(“Our truest opinions are not those we never change, but those to which we most often return.” ― Diderot) 真理を、永遠不滅の真理ではなく、人々の思考が依拠できる真理としてとらえたことは、ディドロがはじめて言ったことだった。ここから、ゴダールがいう問題もみえてくる。彼は人間が依拠できる思考とその意味を問題にした。思考が依拠できるような映画世界が消滅し切ったときに、この消滅によって、思考が依拠できた映画世界とその意味は何かという問いが初めて立てられることになるだろうと、ゴダールは方法論的に考えていたのである。これは映画を思考の形式として再構成した画期的な視点だった。(映画世界が消滅する前に) かれは早々と映画の終焉について戦略的に語っていた。これに関して言うと、たしかに、フェリー二の映画がつくられていたときは、思考が依拠できる映画世界の意味を問う必要はなかった。現在そのフェリーニはいない...映画も上映されない...フェリーニの映画が現実世界に投射されることがない現実世界に生きなければならない。区別がないほど現実が映画に近づいたという意味で、映画世界と現実世界は互いに溶け合っているという指摘は今日では当たり前になってきた。だけれどね、それを前提とすると、現実世界だけはあるのに、立ち返るべき意味ある映画世界が存在しないんだ。そう考えてみると、「アルファビル」のカリーナのように意味の不在に怖ろしさすら感じることがないほど恐怖のどん底にいることに気がついた...パスカルが畏怖した(無意味な)宇宙の無限の拡がりしかない

 

「私は方法についての考えをもっているのですが、それを具体化する手段をもっていません。アンリ・ラングロワがこの世を去る以前にもすでに、・・・というか、、いま言ったようなことを一緒にすべき人がいるとすれば、それじゃアンリ・ラングロワです。彼はきわめて多くのことを記憶していたし、映画史そのものを実によく知っていたわけで、たとえば<むしろこれこれの時代のこれこれの映画を調べるべきだ>といったように、私に確かな指示を与えてくれたはずです。・・・でもラングロワがこの世を去ったあと急にそうしたことをするために必要な条件がそろわなくなったのです・・・」。

 

最初にこの翻訳を読んだときは、迷える読者に過去の映画世界を案内してくれるということぐらいのことしか考えていなかった。おそらくはゴダールが映画をあらわす名になっていく2000年ぐらいから、重要な映画作品が急激にみられなくなったといわれた。急激に記憶からなくなる。映画世界がどこに埋葬されたかすらも知らない。ところで現在あらためて「映画史」を読んでわかることは、そのゴダールですら、すでに思考が依拠できた過去の映画世界の意味がわからなくなっていたということである。2000年前後に完成したビデオ「映画史」は、ラングロワならば知っていたはずの映画世界の呈示だった。だがあくまでもそれは方法としての映画世界に過ぎないのであり、いわばラングロワがみていた本物の実体的再現ではありえなかった。知識人は死に切った絶対的な過去と向き合きあうとき方法論をもつ。時として徹底した方法論は異常なものにみえることがある。ゴダールも、死に切った過去(映画世界)をいかに読むかだけでなく、その過去に介入する方法を語っていたときに、それは徹底した方法論であった。われわれは自分たちに都合よくゴダールを、読み手の側のために説明した年代別に語る映画論としてはかなり逸脱した作り手の側の映画論の枠組みに押し込めていたけれど、モンタージュについていわれることは、映画の言説を超える、同時性のヴィジオンではなかったか。遠く離れたもの同士を、媒介なく直接的に近づけるのはシュールレアリスムの方法論であった。ゴダールはこのシュールレアリスムの原点をもっている、というか人間とはんあいかを語る人文科学の原点をもっている。