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西田幾多郎「場所的論理と宗教」

西田幾多郎「場所的論理と宗教」(1945)の冒頭で、「哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない」という。外部の思考をいうこの画期的な視点は最後まで貫かれているか?信は理性の内部に位置づけられてはいない。外部的にそこに依るならば、どちらが「意識面」でありどちらが「物体的なもの」であれ、<一>と<多>は切り離してはいけないし、無理に統合もできない。無-関係である。一が多をみたり多が一をみるという誰もはいってこれない鍵のかかった私一人の部屋ー宇宙をスクリーンに映し出したりその宇宙を作ったりすることーは不可能だろう、その私といわれる蝿がすでに脱出しているとしたら

人は必ずしも芸術家ではない。しかし、ある程度までは、誰も芸術というものを理解することができる。人は宗教家ではない、入信の人は稀である。しかし、人はある程度までは、宗教を理解することができる。入信者の熱烈なる告白、偉大なる宗教家の信念の表現を読めば、何人もひしひしと己が心の底までも鞭打ちたるるを感ぜないものはなかろう。しかのみならず、自己が一旦極度の不幸にでも陥った場合、自己の心の奥底から、いわゆる宗教心なるものの湧き上がるのを感ぜないものはないであろう。宗教は心霊の事実である。哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない。哲学者はこの心霊上の事実を説明せなければならない。それには、まず自己に、ある程度にまで宗教心というものを理解していなければならない。

西田幾多郎「場所的論理と宗教」(1945)

The Logic of the Place of Nothingness and the Religious worldview (1945)

Not everyone is an artist. But to some extent at least everyone can appriciate art. Nor is everyone a theologician, and rare is the man who experiences a religious conversion. To some degree, however, any person can understand religion. There is probably no one who does not feel a strong resonance in the depths of his heart when he reads the fervent confessions of belief of the great religious figures. Moreover, upon falling into condition of extreme unhappiness, there is probably no one who does not feel some religious sentiment welling up from the depths of his own soul.

Religion is an event of the soul. Philosopher cannot fabricate religion from their own thought system. They must explain this event of the soul. To do so、they must experience religious in themselves to some degree.

- Kitaro Nishida " Nothingness and the Riligious Worldview" (trans. David A.Dilworth)