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「弁名」ノート‬ No. 19 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 19 ( 私の文学的フットノート)

‪道とは統名であり、人間社会と等価の大きさをもつといわれる。徂徠が指さすのは、この道と同じ大きさをもつ、命名者であり制作者である先王=聖人であった。聖人は人びとと本性を同じくしない。この聖人観は朱子の本体論的な性概念の否定と切り離せない。そのようにして、人の性とは生まれつきの性質であり、異なる人ごとに異なる特殊性(「性は人人殊なり」)である。徂徠によれば、その人によって得られる徳も異なるとされる。「徳もまた人の特殊性において把握される。これは普遍的な道徳性に対する解体的な批判であり、攻撃である。」(子安氏)。徳は人ごとに殊なる。ここで問題となってくるのは、そもそも人の性がこのように特殊性となるとき、ではいかに人びとは社会の全体性に連なりうるのかである。人間世界の全体性をとらえようろする徂徠の議論にとっては、人の性からは答えが出てこないことだけはたしかである。‬むしろ「弁名」は、人間社会の構成論の必要を言ってくるのである。