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「弁名」ノート‬ No. 21 ( 私の文学的フットノート)

「弁名」ノート‬ No. 21 ( 私の文学的フットノート)

‪徂徠の社会教育論。儒教的用語でいえば教化論である。「ただここで徂徠の人格形成論が及ぶのは伝統的社会において庶民から区別される士大夫階層に限られている。」一般庶民は「由らしむべきもの」として、一般的な教化によって方向付けられる存在としてあるという。一見この徂徠の言葉からは、では民衆は何をすればいいのかわからない。ここで子安氏の評釈は大きな分脈から民衆教化論の意味を明らかにしている。「この民衆教化論が、人びとの性としてとらえているのは、やはり「道」の章でいわれていた「相愛し、相養い、相輔け、相成す」性情である。人びとにおける相互補助的な性情にしたがって聖人は人間社会形成のための教えを制度習俗として与えていくというのである。」私の理解だけれど、ただ伝統社会について言及したいならば、わざわざ「聖人」を呼びださなくてもいいのである。あえて呼び出すのは、徂徠の「人格形成論」に即していうと、その焦点が、伝統社会における教化論から、民衆の自立を方向付ける制度論(制度習俗)へとシフトしていくのではないかと考える‬