仁斎論語

‪「孔子と門人たちの問答・言行の記録は、東アジアにおいて二千年以上も読み継がれ、無数の解釈と読み方が堆積していく中、それらの痕跡と不可分となった書を、17世紀の京都で町人の伊藤仁斎が再発見し、市井の民ひいては万人が読んで学びうるものとし、『論語古義』という思想革命が実現したー」。‬


‪編集者の藤田さんが選んだこの文は、伊藤仁斎が再発見したテクスト『論語』と彼自身との関係をなによりも東アジアの漢字文化圏からとらえていこうとする『仁斎論語』の書き手の構想を伝える。仁斎は羅山の注釈などを読んで、漢字と仮名で考えたことを再び漢文で書いたという。子安先生は『仁斎論語』でこれを現代語に翻訳しているのである。そして21世紀からする評釈が新しく与えられている。思うに、仁斎は朱子学の大いなる無限を殺したのだから自らの有限性の責任をとらねばならぬのは仁斎自身だっただろう。理念的に、だれもがそこに接近できる「学」の意味が無限としてはじめて語られることになった。この五百年間、何が起きているのか?徳川ジャパンの近世、17世紀から言葉が集合しつつあるのではないか。近世・近代の学ぶ者・読む者は「無数の解釈と読み方が堆積していく」あり方を考え続けてきたのだ。そして、決定的なことは、21世紀の現在、「教育勅語」に顕著な、明治からはじまった上からの「教育」施設で教えられる人間が分散させられるのではなかろうか、と、わたしは常にそういうふうにかんがえてみるのである。‬