イエニー

‪映画のイエニーはロンドン時代のヴィクトリア朝風コスチュームでなくて本当によかったとおもっている。マルクスは、といっても、もちろん映画のマルクスのことであるが、人間の本質的平等観をもっていたので、かれのなかで「革命」の概念が成立していたように描かれている。映画は、このヘーゲル左派がエンゲルスの影響下でイギリス政治経済学を読むことによって「階級」の観念をもつに至る経緯を伝える。そうして後半では「階級」をめぐる同一性に絡みとられていく展開をみることになる。つまりマルクスが何を言ったか、誰がマルクスなのか、お前か、それともお前かという類の話である。再びイエニー。映画のイエニーが最後までフランス語で喋っていたのはどうしてなのか。フランス語をもたなければ「意味」がなかったそういう時代をあらわそうとしていたのか?ハーレントは亡命後に?ドイツ語を喋っている自分がドイツ人云々であるとはおもわないと言ったように、イエニーはフランス語を喋るからと言って自分はフランス人云々であるとはおもわないと考えていたのか。確かなことは、ロゴスが思考の優先順位をもつということ。ロゴス的存在としての人間の根拠が何であるかが問われている。フランス語をもたなければ「意味」がなかったそういう時代をあらわそうとしていたとしても、言語と時代に先行するのはロゴスの思考の優先順位である